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06.大正区をあるく(大阪) [ウォーキング大阪24区]

「06.大正区をあるく」に参加してきました。(20180925)

千歳渡船場(千歳橋)
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大阪の大正区の歴史ある街並みを歩いてきました。

当日は雨のち曇り、最高気温23.6℃。小雨がぱらついたりする中でのウォーキングになりました。

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地図 (1).jpg


大正区(たいしょうく)
大正区は、大阪市を構成する24行政区の一つ。区全体が運河に囲まれた島状の地形となっている。 大正初期以来沖縄県からの移住者が多かった地域で、沖縄料理や沖縄食材を扱う店が多く、「リトル沖縄」とも呼ばれる。 2016年現在、大阪市24区の中で最も人口が少ない。


集合場所大正駅近くの公園を出発して、尻無川水門、千歳渡船場を経由して鶴町中央公園まで歩きます。

大正駅近くの公園
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公園を出発します。
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住宅街、商店街の中などを暫く歩くと尻無川水門に着きました。

尻無川水門(しりなしがわすいもん)
尻無川水門は、大阪ドームの南側から大正区に流れる尻無川にあるアーチ型水門。台風などで押し寄せてくる大阪湾からの高潮をせき止めるはたらきをもっているそうです。
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千歳渡船場に向かいます。
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千歳渡船場(ちとせとせんじょう)
大正内港を渡る渡船場。371m。昼間は20分おきに運航。1日平均約770人(H13年度)の利用があるそうです。
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渡船に乗って大正内港を渡りました。
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鶴町中央公園に向かいます。


鶴町中央公園で昼食休憩になりました。
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昼食休憩後、大阪俘虜収容所跡、落合上渡船場、下八阪神社、近代紡績工業発祥の地 、上八坂神社を経由して大正駅まで歩きました。

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南恩加島公園に着きました。
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しばらく休憩になりました。

大阪俘虜収容所跡(おおさかふりょしゅうようじょあと)
大正3年3月から大正6年2月までの間、大正区南恩加島にドイツ人俘虜収容所があったそうです。
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平尾本通商店街を歩きます。
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落合上渡船場(おちあいかみとせんじょう)
落合上渡船場は、大正区千島1丁目と西成区北津守四丁目を結ぶ(岸壁間100メートル)。平成29年度現在、1日平均484人が利用。上流にある木津川水門(防潮)が毎月1回程度開閉試運転のため閉まっているのが見られるそうです。写真は水門が上がっている状態です。
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八阪神社(やさかじんじゃ)
江戸時代初期の寛永2年(1625年)、大正地区で最も早い神社として、当地の守護神として、素盞鳴尊を勧請したのが創始と伝えられる。大正区内には八坂神社が2箇所にあり、当社は下の宮と呼ばれる。
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近代紡績工業発祥の地(きんだいぼうせきこうぎょうはっしょうのち)
幕末までの紡績は、農家の副業による家内工業にすぎなかった。そのため綿糸の輸入は総輸入額の40%近くを占めていた。そうしたなかで、明治15年、当地で会社組織の紡績工場が発足した。明治19年には夜業用に民間でははじめて電灯を使用したが、3日間夜間工場を公開したところ「ひもランプ」と珍しがられ約5万人がおしかけたそうです。
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八坂神社(やさかじんじゃ)
大阪市大正区にある上の宮 八坂神社。大正区内には八坂神社が2箇所にあり、当神社は人者は上(かみ)のやさかさんと呼ばれている。当神社には三軒家村の開発者でもある功労者の中村勘助之碑も建立されているそうです。
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この後、大正駅まで歩きました。


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ご訪問していただきありがとうございました。




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