高倉寺から陶荒田神社をへて原池公園へ(大阪府南部) [ウォーキング大阪府南部]
「高倉寺から陶荒田神社をへて原池公園へ」に参加してきました。(20180902)
原池公園
大阪泉北の歴史的な街並みを歩いてきました。
当日は晴れ、30.8℃。暑かったですが、気持の良いウォーキングになりました。
集合場所泉ケ丘駅近くの広場を出発して高倉寺、三原公園を経由して陶荒田神社まで歩きます。
泉ケ丘駅近くの大型児童館ビッグバン前の広場
広場を出発して高倉寺に向かいます。
高倉寺に着きました。
高倉寺(たかくらじ)
高倉寺は、南区高倉台に所在する真言宗寺院。『行基年譜』によると、当寺は行基建立の四十九院のひとつで、修恵院(だいすえいん)と呼ばれ、慶雲2年(705)行基38歳の開創。また寺伝によると、高倉天皇1161~1181)がお越しになられ、「大修恵山高倉寺」の称号を賜ったと伝えられています。天正13年(1585)の根来(ねごろ)攻めによる兵火で伽藍(がらん)を焼失したと伝えられていますが、その後再建され、現在境内には、金堂をはじめ多くの仏堂が小高い丘の上に密集して建ち、江戸時代の濃密な寺院空間を今に伝えているそうです。
少し休憩した後、三原公園に向かいます。
この辺りでは青空が見えました。
三原公園に着きました。
三原公園で休憩した後、陶荒田神社に向かいます。
陶荒田神社(すえあらたじんじゃ)
崇神天皇の頃の創建と伝えられ、5世紀頃にはこの地で須恵器(陶器)の生産が盛んになり、「荒田直」という人が祖神を祀ったため、地名の“陶(古くは「陶邑」と呼ばれていました)”と人名の“荒田”から「陶荒田」と称されたといわれています。以来、陶器郷の氏神として、また陶器の生産に携わる業者の守り神として厚い信仰を集めているそうです。
陶荒田神社で昼食休憩になりました。
昼食休憩後、御坊山古墳、原池公園を経由して深井駅まで歩きました。
陶荒田神社を出発して、御坊山古墳 陶器千塚29号墳に向かいます。
御坊山古墳 陶器千塚29号墳(ごぼうやまこふん とうきせんづか)
陶器千塚は、陶器北・辻之・東山に所在する古墳時代後期の群集墳で、29号墳は昭和59年に発掘調査が行われ、埋葬施設には全国的にも珍しい横穴式木芯粘土室(よこあなしきもくしんねんどしつ)が採用され、須恵器工人を葬った埋葬施設かとする説もあります。指定を行う埋葬施設の出土遺物は、須恵器円筒棺1、鉄鏃1、耳環(銀環)1対、ガラス玉45、土玉1、須恵器杯蓋3、同杯身3、同長頸壷1、同提瓶1で、初葬・追葬時の遺物が混入し、6世紀後半から7世紀前半にわたります。これらは、陶邑窯跡群(すえむらかまあとぐん)を擁する本市にあっても数少ない横穴式木芯粘土室からの出土遺物であり、かつ、類例が極めて少ない須恵器円筒棺を含むことなど、市域における古墳時代を考えるうえで貴重な資料だそうです。
原池公園に向かいます。
原池公園に着きました。
この後、深井駅まで歩きました。
深井駅に着きました。
ご訪問していただきありがとうございました。
原池公園
大阪泉北の歴史的な街並みを歩いてきました。
当日は晴れ、30.8℃。暑かったですが、気持の良いウォーキングになりました。
集合場所泉ケ丘駅近くの広場を出発して高倉寺、三原公園を経由して陶荒田神社まで歩きます。
泉ケ丘駅近くの大型児童館ビッグバン前の広場
広場を出発して高倉寺に向かいます。
高倉寺に着きました。
高倉寺(たかくらじ)
高倉寺は、南区高倉台に所在する真言宗寺院。『行基年譜』によると、当寺は行基建立の四十九院のひとつで、修恵院(だいすえいん)と呼ばれ、慶雲2年(705)行基38歳の開創。また寺伝によると、高倉天皇1161~1181)がお越しになられ、「大修恵山高倉寺」の称号を賜ったと伝えられています。天正13年(1585)の根来(ねごろ)攻めによる兵火で伽藍(がらん)を焼失したと伝えられていますが、その後再建され、現在境内には、金堂をはじめ多くの仏堂が小高い丘の上に密集して建ち、江戸時代の濃密な寺院空間を今に伝えているそうです。
少し休憩した後、三原公園に向かいます。
この辺りでは青空が見えました。
三原公園に着きました。
三原公園で休憩した後、陶荒田神社に向かいます。
陶荒田神社(すえあらたじんじゃ)
崇神天皇の頃の創建と伝えられ、5世紀頃にはこの地で須恵器(陶器)の生産が盛んになり、「荒田直」という人が祖神を祀ったため、地名の“陶(古くは「陶邑」と呼ばれていました)”と人名の“荒田”から「陶荒田」と称されたといわれています。以来、陶器郷の氏神として、また陶器の生産に携わる業者の守り神として厚い信仰を集めているそうです。
陶荒田神社で昼食休憩になりました。
昼食休憩後、御坊山古墳、原池公園を経由して深井駅まで歩きました。
陶荒田神社を出発して、御坊山古墳 陶器千塚29号墳に向かいます。
御坊山古墳 陶器千塚29号墳(ごぼうやまこふん とうきせんづか)
陶器千塚は、陶器北・辻之・東山に所在する古墳時代後期の群集墳で、29号墳は昭和59年に発掘調査が行われ、埋葬施設には全国的にも珍しい横穴式木芯粘土室(よこあなしきもくしんねんどしつ)が採用され、須恵器工人を葬った埋葬施設かとする説もあります。指定を行う埋葬施設の出土遺物は、須恵器円筒棺1、鉄鏃1、耳環(銀環)1対、ガラス玉45、土玉1、須恵器杯蓋3、同杯身3、同長頸壷1、同提瓶1で、初葬・追葬時の遺物が混入し、6世紀後半から7世紀前半にわたります。これらは、陶邑窯跡群(すえむらかまあとぐん)を擁する本市にあっても数少ない横穴式木芯粘土室からの出土遺物であり、かつ、類例が極めて少ない須恵器円筒棺を含むことなど、市域における古墳時代を考えるうえで貴重な資料だそうです。
原池公園に向かいます。
原池公園に着きました。
この後、深井駅まで歩きました。
深井駅に着きました。
ご訪問していただきありがとうございました。