大和川越_御陵巡り(大阪) [ウォーキング大阪市]
「大和川越・御陵巡り」に参加してきました。(20180609)
ニサンザイ古墳
大阪長居公園から大和川に架かる行基大橋を渡り、堺の御陵などを巡ってきました。
当日は晴れ、最高気温28.8℃。気持ち良いウォーキングになりました。
集合場所長居公園を出発してあびこ観音、行基大橋、今池水みらい緑地広場を経由して 大泉緑地まで歩きます。
集合場所の長居公園
長居公園を出発して、あびこ観音へ向かいます。
あびこ観音に着きました。
あびこ観音(あびこかんのん)
観音霊場として名高い古刹。推古天皇14年(606年)、聖徳太子がこの地を訪れ、伽藍建立せよと仰せられたことがはじまりと伝えられている。戦乱の時代、大坂夏の陣で徳川家康が真田軍勢に追われた際に、辛くもこの寺にかくまわれ、観音様のご加護で九死に一生を得たとも言われている。毎年、節分には護摩焚きが執行され、多くの人で賑わうそうです。
あびこ観音から東へ歩き行基大橋を渡ります。
行基大橋からみた大和川の景色、大阪湾の方向です。
行基大橋(ぎょうきおおはし)
行基大橋周辺はかって渡来人が多く住んでいた地域、僧行基もこの地に住み住民に便宜を与えていたとされていることから行基大橋の名前がついたそうです。
大和川を渡ると直ぐに今池水みらいセンターに着きました。
今池水みらい緑地広場(いまいけみずみらいりょくちひろば)
松原市の「今池水みらいセンター」の敷地に整備された公園。広々とした空間が広がる風の広場と、身近な自然に触れられる虹の広場になっているそうです。
大泉緑地に着きました。
大泉緑地(おおいずみりょくち)
2007年現在、101.5haが開設。広大な敷地に約200種32万本もの樹木が植えられた大森林公園で、巨大な滑り台が目玉となっている。名称の由来となった大泉池や、花壇、大芝生広場などの憩いのゾーンと、スポーツゾーンなどからなり、15品種約1万株を集めた「かきつばた園」でも知られているそうです。
大泉緑地で昼食休憩になりました。
昼食休憩後、白鷺公園、ニサンザイ古墳、御廟山古墳、大仙公園を経由して三国ヶ丘駅まで歩きました。
大泉緑地を出発します。
白鷺公園手前の池の花菖蒲が綺麗に咲いていました。
白鷺公園に着きました。
少し休憩後、ニサンザイ古墳に向かいます。
大阪府立大学構内を通過します。
ニサンザイ古墳(にさんざいこふん)
百舌鳥古墳群の南東の端に位置する。「ニサンザイ」は「ミサンザイ」すなわち「ミササギ(陵)」の転訛したものと考えられており、現在も宮内庁によって反正天皇空墓として陵墓参考地に治定されている。墳形は前方後円形で、前方部を西方に向ける。墳丘は3段築成で、現在の墳丘長は290メートル。左右には造り出しを有する。2012年に墳丘裾の護岸工事の際に行われた調査において、現在の墳丘の端から5メートル外側の濠の底から本来の裾部分が検出されたため、本来の墳丘長は300メートル以上で全国第7位の規模になるとされているそうです。
御廟山古墳に向かいます。
御廟山古墳(ごびょうやまこふん)
百舌鳥本町にある前方部を西に向けた前方後円墳。平成20年に行われた宮内庁と堺市による発掘調査により、規模が墳丘長約203m、後円部径約113m、前方部最大幅約136mと復元された。墳丘は3段に築かれていて、南側のくびれ部には造出しがあります。葺石と埴輪がありますが、埋葬の主体部の構造や副葬品などはわかっていません。周囲には盾形の濠と堤がめぐっていますが、最近の調査で二重の濠があることがわかっています。墳丘は陵墓参考地として宮内庁が管理しているそうです。
この後、大仙公園を経由して三国ヶ丘駅まで歩きました。
Niceボタンをクローズさせていただきました。
ご訪問していただきありがとうございました。
ニサンザイ古墳
大阪長居公園から大和川に架かる行基大橋を渡り、堺の御陵などを巡ってきました。
当日は晴れ、最高気温28.8℃。気持ち良いウォーキングになりました。
集合場所長居公園を出発してあびこ観音、行基大橋、今池水みらい緑地広場を経由して 大泉緑地まで歩きます。
集合場所の長居公園
長居公園を出発して、あびこ観音へ向かいます。
あびこ観音に着きました。
あびこ観音(あびこかんのん)
観音霊場として名高い古刹。推古天皇14年(606年)、聖徳太子がこの地を訪れ、伽藍建立せよと仰せられたことがはじまりと伝えられている。戦乱の時代、大坂夏の陣で徳川家康が真田軍勢に追われた際に、辛くもこの寺にかくまわれ、観音様のご加護で九死に一生を得たとも言われている。毎年、節分には護摩焚きが執行され、多くの人で賑わうそうです。
あびこ観音から東へ歩き行基大橋を渡ります。
行基大橋からみた大和川の景色、大阪湾の方向です。
行基大橋(ぎょうきおおはし)
行基大橋周辺はかって渡来人が多く住んでいた地域、僧行基もこの地に住み住民に便宜を与えていたとされていることから行基大橋の名前がついたそうです。
大和川を渡ると直ぐに今池水みらいセンターに着きました。
今池水みらい緑地広場(いまいけみずみらいりょくちひろば)
松原市の「今池水みらいセンター」の敷地に整備された公園。広々とした空間が広がる風の広場と、身近な自然に触れられる虹の広場になっているそうです。
大泉緑地に着きました。
大泉緑地(おおいずみりょくち)
2007年現在、101.5haが開設。広大な敷地に約200種32万本もの樹木が植えられた大森林公園で、巨大な滑り台が目玉となっている。名称の由来となった大泉池や、花壇、大芝生広場などの憩いのゾーンと、スポーツゾーンなどからなり、15品種約1万株を集めた「かきつばた園」でも知られているそうです。
大泉緑地で昼食休憩になりました。
昼食休憩後、白鷺公園、ニサンザイ古墳、御廟山古墳、大仙公園を経由して三国ヶ丘駅まで歩きました。
大泉緑地を出発します。
白鷺公園手前の池の花菖蒲が綺麗に咲いていました。
白鷺公園に着きました。
少し休憩後、ニサンザイ古墳に向かいます。
大阪府立大学構内を通過します。
ニサンザイ古墳(にさんざいこふん)
百舌鳥古墳群の南東の端に位置する。「ニサンザイ」は「ミサンザイ」すなわち「ミササギ(陵)」の転訛したものと考えられており、現在も宮内庁によって反正天皇空墓として陵墓参考地に治定されている。墳形は前方後円形で、前方部を西方に向ける。墳丘は3段築成で、現在の墳丘長は290メートル。左右には造り出しを有する。2012年に墳丘裾の護岸工事の際に行われた調査において、現在の墳丘の端から5メートル外側の濠の底から本来の裾部分が検出されたため、本来の墳丘長は300メートル以上で全国第7位の規模になるとされているそうです。
御廟山古墳に向かいます。
御廟山古墳(ごびょうやまこふん)
百舌鳥本町にある前方部を西に向けた前方後円墳。平成20年に行われた宮内庁と堺市による発掘調査により、規模が墳丘長約203m、後円部径約113m、前方部最大幅約136mと復元された。墳丘は3段に築かれていて、南側のくびれ部には造出しがあります。葺石と埴輪がありますが、埋葬の主体部の構造や副葬品などはわかっていません。周囲には盾形の濠と堤がめぐっていますが、最近の調査で二重の濠があることがわかっています。墳丘は陵墓参考地として宮内庁が管理しているそうです。
この後、大仙公園を経由して三国ヶ丘駅まで歩きました。
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ご訪問していただきありがとうございました。