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ぎふ・郡上八幡を散策(岐阜) [ウォーキング]

「ぎふ 郡上八幡を散策」に参加してきました。(20180519)

郡上八幡城
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郡上おどりの体験
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宗祇水
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古い町並みの一部
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郡上八幡城の近く
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吉田川
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水の街、郡上八幡。奥美濃から流れ来るきれいな水を用水として利用し、町民により厳しく管理され、宗祇水は全国名水100選の一番手に指定されたそうです。「郡上おどり」は7月中旬~9月上旬まで30数夜にわたり繰り広げられる盆踊り、博覧館では踊りを体験できるコーナーもありました。郡上八幡城は司馬遼太郎が日本一美しい山城だと讃えた天空の城だそうです。

当日は晴れ、最高気温22.8℃。大阪を出発するときは曇り、バス移動の途中で雨が降ったりして天気の心配をしていたのですが、現地の郡上八幡ではとても良い天気になり、気持ちの良い散策になりました。

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集合場所大阪駅からバスで郡上八幡まで移動します。

途中で雨が降ったりしましたが、郡上八幡に着いたときは素晴らしい天気でした。

郡上八幡城下町プラザで少し休憩した後、郡上八幡城、郡上八幡博覧館、宗祇水などを散策しました。


郡上八幡城下町プラザ
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安養寺(あんにょうじ)
創建は康元元年(1256)、西信(親鸞聖人の直弟:佐々木高綱の3男)が開山したのが始まりと伝えられています。当初は江州(現在の滋賀県)蒲生郡にあり安要寺と称していましたが、6世仲淳の時代に岐阜県安八郡に移り、蓮如上人から現在の寺号である安養寺を賜っています。中世の安養寺は寺運が隆盛したことで大きな影響力があり10世乗了は石山合戦などを歴戦し、戦国大名の武田信玄や朝倉義景、織田信長などの書状を所持しています。その後、越前国穴馬(現在の福井県大野市)に境内を構えましたが、天文5年(1536)には美濃国大島村野里(現在の郡上市白鳥町)に境内を移し天正6年(1588)、又は江戸時代に入り、井上正任が笠間藩(現在の茨城県笠間市)から郡上藩(藩庁:郡上八幡城)移封と時を同じにして八幡中坪村園野に移りました。その後、火災により安養寺が大きな被害を受けると明治14年(1881)に郡上八幡城の3の丸にあたる現在地に移転したそうです。
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城山公園で休憩になりました。
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山内一豊と千代の像
内助の功で有名な山内一豊の妻「千代」出生の地については近江説と郡上説があり、郡上説では初代郡上八幡城主、遠藤盛数の娘と云われているそうです。
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郡上八幡城に登ります。
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郡上八幡城(ぐじょうはちまんじょう)【日本一美しい山城】
戦国時代末期永禄2年(1559)、初代城主の遠藤盛数によって砦が築かれたのが郡上八幡城のはじまり。その後稲葉貞通、遠藤慶隆の興亡を経て大普請され、寛文7年(1667)6代城主遠藤常友の修復によって、幕府から城郭として格上げされ、のちに井上、金森と相次いで入部。宝暦5年大規模な農民一揆がおこり、12代城主金森頼錦は、お家断絶に追い込まれるというわが国歴史上、最も壮絶な一揆が展開されました。金森氏に代わって宝暦9年に丹後の宮津から転封した青山幸道は城下の殿町に居館を築き、旧二の丸は本丸、旧本丸は桜の丸、松の丸に改められました。明治4年廃藩置県とともに廃城となった城は翌年から石垣を残して取り壊されました。現在の城郭一帯の石垣すべてが県の史跡に指定され、天守閣は市の有形文化財に指定されています。現在の天守閣は昭和8年に再建された、日本最古の木造天守だそうです。
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お城から見た景色
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古い町並みから見た郡上八幡城
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郡上八幡博覧館に向かいます。

郡上八幡博覧館(ぐじょうはちまんはくらんかん)【郡上おどり体験】
この辺りの町並み保存運動に連携して1920年(大正9年)に建てられた旧税務署の外観をそのまま残した建物。内部は郡上八幡の「水とおどりの城下町」のキャッチフレーズにそって歴史伝統・水環境や郡上おどりなどテーマ別にわかり易く展示してあります。1日4回の郡上おどりの実演が行われているそうです。
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展示内容の一部
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郡上おどりの体験させていただいた後、古い町並みを歩きます。


古い町並み(ふるいまちなみ)
職人町、鍛冶屋町といった町名にひかれてそぞろ歩けば、そこには古い家並みとその軒先をほとばしるように流れる水路があります。柳町の家々は侍町のおもかげを残しており、隣家との境に袖壁をもつのが特徴です。これは屋根の軒出しを支えるとともに長屋のように密接した家々の防犯や延焼を防ぐためのものでした。
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宗祇水に着きました。

宗祇水(そうぎすい)【全国名水100選の一番手】
環境省が選定した「日本名水百選」の第1号に指定されたことで有名になった湧水。しかし本来は由緒正しき史跡。文明3年連歌の宗匠・飯尾宗祇が郡上の領主である東常縁から古今伝授を受けて京へ戻るとき、当時2大歌人であるふたりが、この泉のほとりで歌を詠み交わした。由緒ある泉だそうです。
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この後、吉田川の南側を散策します。

やなか水のこみち(やなかみずのこみち)
繁華街の新町から角を曲がった町なかの一服の清涼剤のような路地。玉石を敷き詰めた道と水路、柳の並木、大きな家屋敷。歩いている人がみんなちょっといい顔になる小道だそうです。
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齋藤美術館(さいとうびじゅつかん)
茶人であった齋藤家のお茶道具、書画を展示。母屋の建物は国の登録文化財に指定されているそうです。
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願蓮寺(がんれんじ)
明応三年(1494)に願蓮寺創立。八幡城主遠藤慶隆により城下の現今の地へ移転したそうです。
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慈恩禅寺(じおんぜんじ)
1606年(慶長11年)郡上八幡城主遠藤慶隆(1550年~1632年)の開基、半山紹碩が師の南化玄興を勧請開山として創建。当初慈恩寺と号していたが、江戸時代の1738年(元文3年)護国の号を下賜された。著名な住職に隠山惟?の法嗣、棠林宗寿がおり、以来その法が受け継がれている。そのため、隠山や棠林の墨跡を多く所蔵するそうです。
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郡上八幡旧庁舎記念館(ぐじょうはちまんきゅうちょうしゃきねんかん)
郡上八幡を訪れる観光客の休息、便宜を図るユニークな施設。建物は旧郡上八幡役場で国の登録文化財の指定を受けている。内部は郡上八幡の特産品の展示販売や軽食、2階は郡上おどりの体験会場となる「かわさきホール」。郡上八幡観光協会もあるそうです。
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いがわこみち
郡上八幡旧庁舎記念館の横にある鯉や川魚が泳ぐ豊かな用水。民家の裏手を流れ、夏になればスイカが冷やされオトリに鮎が籠に入れてあったり、洗濯場が3ヶ所あり近所の人たちの社交の場でもあったりするそうです。
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この後、郡上八幡城下町プラザまで歩きました。


郡上八幡城下町プラザで少し休憩した後、バスで大阪駅まで帰ってきました。


むかしの情緒を保存している町並みなどとても雰囲気の良い観光地でした。

機会があれば再度訪れてみたいと思いました。



ご訪問していただきありがとうございました。




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