昭和の行楽地_浜寺公園のバラ(大阪) [ウォーキング大阪府南部]
「昭和の行楽地・浜寺公園のバラ」に参加してきました。(20180512)
浜寺公園バラ園
大阪堺の松林・海水浴などでも有名な浜寺公園のバラを見てきました。
当日は晴れ、最高気温23.9℃。気持ち良いウォーキングになりました。
集合場所堺市駅近くの東雲公園を出発して、方違神社、仁徳天皇陵、履中天皇陵を経由して霞ケ丘公園まで歩きます。
集合場所堺市駅近くの東雲公園
東雲公園を出発します。
方違神社に着きました。
方違神社(ほうちがいじんじゃ)
河内・和泉・摂津三国の境にある方位のない清地とされ方除祈願で有名。遠方への旅や家を移る時などに参れば災難に会わないという言い伝えから、新築・転居等の厄除けで各地から多くの人々が参詣に来られるそうです。
方違神社の横にある反正天皇陵を通過します。
反正天皇陵(はんぜいてんのうりょう)
百舌鳥古墳群の北端にある前方部を南に向けた前方後円墳で、現在は百舌鳥耳原三陵の北陵・反正天皇陵として宮内庁が管理しています。墳丘の規模は全長約148m、後円部径約76m、高さ約13m、前方部幅約110m、高さ約15mで百舌鳥古墳群では7番目の大きさです。仁徳天皇陵古墳の1/3ほどの大きさで、天皇陵では小さいほうですが理由はよくわかっていません。墳丘は3段に築かれその形や出土した埴輪から、5世紀中頃に造られたと考えられているそうです。
仁徳天皇陵に向かいます。
仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)
全長約486mの日本最大の前方後円墳。エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓の一つといわれ、上から見ると円と四角を合体させた前方後円墳という日本独自の形で、5世紀中ごろに約20年をかけて築造されたと推定されているそうです。
少し休憩後、霞ケ丘公園に向かいます。
大仙公園を通過します。
七観音古墳のツツジが綺麗に咲いていました。
七観音古墳(しちかんのんこふん)
履中天皇陵古墳(石津ヶ丘古墳)の北側、大仙公園の南入口にあります。鉢巻状の壁で保存されていますが、原形とは少し違うようです。鉄器や武器が大量に発見された七観山古墳(七観古墳)と、名前が似ているのでよく間違えられます。堺市の調査で直径25m、高さ3m程の円墳であることがわかっています。中心部の様子はわかっていませんが、碧玉製の琴柱形石製品が出土したといわれているそうです。
履中天皇陵の西側を通過します。
履中天皇陵(りちゅうてんのうりょう)
石津ヶ丘にある全長約365mの日本で3番目に大きい巨大前方後円墳。仁徳天皇陵古墳より古く5世紀前半頃に造られ、百舌鳥耳原南陵、ミサンザイ古墳、石津ヶ丘古墳とも呼ばれる百舌鳥耳原三陵の一つだそうです。
霞ケ丘公園につきました。
霞ケ丘公園で昼食休憩になりました。
昼食休憩後、諏訪ノ森駅、浜寺公園、大鳥神社を経由して鳳駅まで歩きました。
諏訪ノ森駅
明治40年(1907)12月に開業。当時この辺りは船尾村と呼ばれ、その村社として、かつてあった諏訪神社が駅名の由来といわれている。プラットホームは以前は相対式でしたが、下りホームの幅員を広くするため、昭和41年(1966)、下りホームのみ難波寄りに約60メートルずらして移設。白砂青松の松林から続く海原の彼方に、遠く淡路島が描かれた5枚組ステンドグラスがはめ込まれた西駅舎は、平成10年(1998)9月、浜寺公園駅舎とともに大手私鉄で初めて国の登録文化財となり、平成15年(2003)の第4回「近畿の駅百選」で認定駅に選ばれたそうです。
浜寺公園(はまでらこうえん)
浜寺公園は、大阪府堺市西区および高石市の沿岸部に広がる大阪府営の都市公園。約5,500本の松林で知られるそうです。
浜寺公園バラ園(はまでらこうえんばらえん)
「浜寺公園 ばら庭園」は浜寺公園の中にあり、約300種6,500株が植栽されているそうです。
バラを鑑賞した後、浜寺公園バラ園を出発します。
大鳥神社に向かいます。
大鳥神社(おおとりじんじゃ)
和泉の一の宮、大鳥造の本殿は古代神社建築の1つ。日本武尊が死後、白鳥となって最後に留まった地に、周辺の人々が白鳥を祭るため建てた社が大鳥神社であると伝えられている。境内種々の樹木があり「千種の森(ちぐさのもり)」と呼ばれている。また、菖蒲園には10万本のしょうぶが群生しており、6月には一般に公開されるそうです。
この後、鳳駅まで歩きました。
ご訪問していただきありがとうございました。
浜寺公園バラ園
大阪堺の松林・海水浴などでも有名な浜寺公園のバラを見てきました。
当日は晴れ、最高気温23.9℃。気持ち良いウォーキングになりました。
集合場所堺市駅近くの東雲公園を出発して、方違神社、仁徳天皇陵、履中天皇陵を経由して霞ケ丘公園まで歩きます。
集合場所堺市駅近くの東雲公園
東雲公園を出発します。
方違神社に着きました。
方違神社(ほうちがいじんじゃ)
河内・和泉・摂津三国の境にある方位のない清地とされ方除祈願で有名。遠方への旅や家を移る時などに参れば災難に会わないという言い伝えから、新築・転居等の厄除けで各地から多くの人々が参詣に来られるそうです。
方違神社の横にある反正天皇陵を通過します。
反正天皇陵(はんぜいてんのうりょう)
百舌鳥古墳群の北端にある前方部を南に向けた前方後円墳で、現在は百舌鳥耳原三陵の北陵・反正天皇陵として宮内庁が管理しています。墳丘の規模は全長約148m、後円部径約76m、高さ約13m、前方部幅約110m、高さ約15mで百舌鳥古墳群では7番目の大きさです。仁徳天皇陵古墳の1/3ほどの大きさで、天皇陵では小さいほうですが理由はよくわかっていません。墳丘は3段に築かれその形や出土した埴輪から、5世紀中頃に造られたと考えられているそうです。
仁徳天皇陵に向かいます。
仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)
全長約486mの日本最大の前方後円墳。エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓の一つといわれ、上から見ると円と四角を合体させた前方後円墳という日本独自の形で、5世紀中ごろに約20年をかけて築造されたと推定されているそうです。
少し休憩後、霞ケ丘公園に向かいます。
大仙公園を通過します。
七観音古墳のツツジが綺麗に咲いていました。
七観音古墳(しちかんのんこふん)
履中天皇陵古墳(石津ヶ丘古墳)の北側、大仙公園の南入口にあります。鉢巻状の壁で保存されていますが、原形とは少し違うようです。鉄器や武器が大量に発見された七観山古墳(七観古墳)と、名前が似ているのでよく間違えられます。堺市の調査で直径25m、高さ3m程の円墳であることがわかっています。中心部の様子はわかっていませんが、碧玉製の琴柱形石製品が出土したといわれているそうです。
履中天皇陵の西側を通過します。
履中天皇陵(りちゅうてんのうりょう)
石津ヶ丘にある全長約365mの日本で3番目に大きい巨大前方後円墳。仁徳天皇陵古墳より古く5世紀前半頃に造られ、百舌鳥耳原南陵、ミサンザイ古墳、石津ヶ丘古墳とも呼ばれる百舌鳥耳原三陵の一つだそうです。
霞ケ丘公園につきました。
霞ケ丘公園で昼食休憩になりました。
昼食休憩後、諏訪ノ森駅、浜寺公園、大鳥神社を経由して鳳駅まで歩きました。
諏訪ノ森駅
明治40年(1907)12月に開業。当時この辺りは船尾村と呼ばれ、その村社として、かつてあった諏訪神社が駅名の由来といわれている。プラットホームは以前は相対式でしたが、下りホームの幅員を広くするため、昭和41年(1966)、下りホームのみ難波寄りに約60メートルずらして移設。白砂青松の松林から続く海原の彼方に、遠く淡路島が描かれた5枚組ステンドグラスがはめ込まれた西駅舎は、平成10年(1998)9月、浜寺公園駅舎とともに大手私鉄で初めて国の登録文化財となり、平成15年(2003)の第4回「近畿の駅百選」で認定駅に選ばれたそうです。
浜寺公園(はまでらこうえん)
浜寺公園は、大阪府堺市西区および高石市の沿岸部に広がる大阪府営の都市公園。約5,500本の松林で知られるそうです。
浜寺公園バラ園(はまでらこうえんばらえん)
「浜寺公園 ばら庭園」は浜寺公園の中にあり、約300種6,500株が植栽されているそうです。
バラを鑑賞した後、浜寺公園バラ園を出発します。
大鳥神社に向かいます。
大鳥神社(おおとりじんじゃ)
和泉の一の宮、大鳥造の本殿は古代神社建築の1つ。日本武尊が死後、白鳥となって最後に留まった地に、周辺の人々が白鳥を祭るため建てた社が大鳥神社であると伝えられている。境内種々の樹木があり「千種の森(ちぐさのもり)」と呼ばれている。また、菖蒲園には10万本のしょうぶが群生しており、6月には一般に公開されるそうです。
この後、鳳駅まで歩きました。
ご訪問していただきありがとうございました。