13.旭区をあるく(大阪) [ウォーキング大阪24区]
「旭区を歩く」に参加してきました。(20180327)
太子橋中公園
大阪旭区の歴史的な街並みなどを歩いてきました。
当日は曇り、晴れ、最高気温21.8℃。気持ち良いウォーキングになりました。
集合場所新森中央公園を出発して八幡大神宮、千林商店街発祥の地、賽龍寺、太子橋中公園を経由して城北公園まで歩きます。
集合場所の新森中央公園
新森中央公園を出発して八幡大神宮に向かいます。
八幡大神宮に着きました。
八幡大神宮(はちまんだいじんぐう)
創建は不詳だが、洪水により応神天皇の像と白羽矢がこの地に流れ着き、それを祀ったのが起こりという。江戸時代初期の高槻城主・松平家信は、社領を寄進するほど厚く敬い、その後も高槻城の守護神として歴代城主の信仰が厚かった。戦国期にはキリシタンの高山氏の兵火で焼失したこともあるそうです。
少し休憩後、太子橋中公園に向かいます。
千林商店街発祥の地を通過します。
寶龍寺を通過します。
寶龍寺(ほうりゅうじ)
寶龍寺のクスの大木4本は天然記念物に指定。このクスは、聖楠大龍尊神である白龍尊が棲むということで、御神木として大切に保護されているそうです。
高速道路の高架下を歩きます。
太子橋中公園に着きました。
桜が満開でした。(冒頭の写真)
淀川堤防を歩きます。
大阪工業大学の前を通過します。
正門は大阪中央公会堂をモチーフにしているそうです。
城北公園に着きました。
城北公園で昼食休憩になりました。
昼食休憩後、常宣寺、日吉神社、城北緑道、大宮神社、関目神社を経由して関目高殿駅まで歩きました。
常宣寺(じようせんじ)
天台教学の学僧、智正法師により応永4年(1397年)に創建。室町時代中期には本願寺法主第8代蓮如上人が、京都から淀川を経由して、当寺に寄り、周辺地域に教化伝道したという言い伝えがある。石山合戦の際は砦が周囲にあり、石山本願寺の支城の一つとして織田軍と対峙したとされる。境内には樹齢約370年の銀杏の木がある。これは正保元年(1644年)に、本堂を再建し、山門を拡充した際に植樹された。土蔵は文政2年(1820年)、太鼓楼は安政3年(1857年)に建造、客殿等も建築された。平成にも、平成の大改修として本堂の修復や、山門を整備したそうです。
再び、淀川堤防を歩きます。
日吉神社に着きました。
日吉神社(ひよしじんじゃ)
比叡山の日吉大社から分霊された祭神を祀っているそうです。
淀川ワンド付近を歩きます。
赤川鉄橋の下を通過します。
城北緑道を歩き、大宮神社、関目神社に向かいます。
城北緑道
大宮神社(おおみやじんじゃ)
源義経にまつわる伝承を持つ神社。創建は1185年(文治元年)だそうです。
関目神社(せきめじんじゃ)
祭神は素盞嗚(すさのお)命。創建不詳。豊臣秀吉が大坂城築城のとき、鬼門の治めとして、小さな社を建てたのがはじまりという。秀吉はこの付近を防衛線の一部として重視し、ここで街道(京街道)をわざと屈曲させ、軍兵の勢いをそいだという「七曲がり」が残っているそうです。
この後、関目高殿駅まで歩きました。
Niceボタンをクローズさせていただきました。
ご訪問していただきありがとうございました。
太子橋中公園
大阪旭区の歴史的な街並みなどを歩いてきました。
当日は曇り、晴れ、最高気温21.8℃。気持ち良いウォーキングになりました。
集合場所新森中央公園を出発して八幡大神宮、千林商店街発祥の地、賽龍寺、太子橋中公園を経由して城北公園まで歩きます。
集合場所の新森中央公園
新森中央公園を出発して八幡大神宮に向かいます。
八幡大神宮に着きました。
八幡大神宮(はちまんだいじんぐう)
創建は不詳だが、洪水により応神天皇の像と白羽矢がこの地に流れ着き、それを祀ったのが起こりという。江戸時代初期の高槻城主・松平家信は、社領を寄進するほど厚く敬い、その後も高槻城の守護神として歴代城主の信仰が厚かった。戦国期にはキリシタンの高山氏の兵火で焼失したこともあるそうです。
少し休憩後、太子橋中公園に向かいます。
千林商店街発祥の地を通過します。
寶龍寺を通過します。
寶龍寺(ほうりゅうじ)
寶龍寺のクスの大木4本は天然記念物に指定。このクスは、聖楠大龍尊神である白龍尊が棲むということで、御神木として大切に保護されているそうです。
高速道路の高架下を歩きます。
太子橋中公園に着きました。
桜が満開でした。(冒頭の写真)
淀川堤防を歩きます。
大阪工業大学の前を通過します。
正門は大阪中央公会堂をモチーフにしているそうです。
城北公園に着きました。
城北公園で昼食休憩になりました。
昼食休憩後、常宣寺、日吉神社、城北緑道、大宮神社、関目神社を経由して関目高殿駅まで歩きました。
常宣寺(じようせんじ)
天台教学の学僧、智正法師により応永4年(1397年)に創建。室町時代中期には本願寺法主第8代蓮如上人が、京都から淀川を経由して、当寺に寄り、周辺地域に教化伝道したという言い伝えがある。石山合戦の際は砦が周囲にあり、石山本願寺の支城の一つとして織田軍と対峙したとされる。境内には樹齢約370年の銀杏の木がある。これは正保元年(1644年)に、本堂を再建し、山門を拡充した際に植樹された。土蔵は文政2年(1820年)、太鼓楼は安政3年(1857年)に建造、客殿等も建築された。平成にも、平成の大改修として本堂の修復や、山門を整備したそうです。
再び、淀川堤防を歩きます。
日吉神社に着きました。
日吉神社(ひよしじんじゃ)
比叡山の日吉大社から分霊された祭神を祀っているそうです。
淀川ワンド付近を歩きます。
赤川鉄橋の下を通過します。
城北緑道を歩き、大宮神社、関目神社に向かいます。
城北緑道
大宮神社(おおみやじんじゃ)
源義経にまつわる伝承を持つ神社。創建は1185年(文治元年)だそうです。
関目神社(せきめじんじゃ)
祭神は素盞嗚(すさのお)命。創建不詳。豊臣秀吉が大坂城築城のとき、鬼門の治めとして、小さな社を建てたのがはじまりという。秀吉はこの付近を防衛線の一部として重視し、ここで街道(京街道)をわざと屈曲させ、軍兵の勢いをそいだという「七曲がり」が残っているそうです。
この後、関目高殿駅まで歩きました。
Niceボタンをクローズさせていただきました。
ご訪問していただきありがとうございました。