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14.城東区をあるく(大阪) [ウォーキング大阪24区]

「城東区をあるく」に参加してきました。(20180313)

蒲生公園
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大阪城東区の歴史的な街並みなどを歩いてきました。

当日は晴れ、最高気温19.2℃。気持ち良いウォーキングになりました。

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地図 (1).jpg



集合場所京橋駅を出発して野江水神社、蒲生公園、若宮八幡大神宮、栄照寺、皇大神宮、八剱神社、八坂神社を経由して左専道公園まで歩きます。

集合場所の京橋駅
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近くの公園に移動。 コースの説明を受けた後、準備体操を行います。
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近くの公園を出発して野江水神社、蒲生公園に向かいます。


野江水神社(のえすいじんじゃ)
1548年、榎並城の城主であった三好宗三が戦いにそなえて城の近くにとりでをつくっていたとき、幾度か水害に悩まされたので、榎並城内に水難の守り神をおまつりしたのが水神社であるといわれています。のちに、豊臣秀吉が大阪城をたてるときも水害のために城づくりがさまたげられないように水神社を建直し祈願をしたそうです。
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蒲生公園(がもうこうえん)

冒頭の写真のところです。


少し休憩後、若宮八幡大神宮に向かいます。
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若宮八幡大神宮(わかみやはちまんだいじんぐう)
若宮八幡大神≪仁徳天皇≫を祭神とする神社で、創建年月は定かではありません。社地は、昔から村内の小さな丘にあって、楠や榎などの大木がうっそうと繁り、昼なお暗い感があったと伝えられています。中でも楠の老大樹は、明治18年(1885年)まで神木として崇敬されていました。境内にあるクスノキやムクノキなど11本の樹木が、平成9年10月31日大阪市保存樹林に指定されました。大坂冬の陣のとき、徳川方の佐竹義宣が境内に陣を張り、戦勝祈願したといわれているそうです。
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近くの栄照寺、皇大神宮に向かいます。

栄照寺(えいしょうじ)
鐘の位置が本堂の屋根の横に設置されていました。
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皇大神宮(こうたいじんぐう)
天照皇大神(あまてらすおおみかみ)を祭神として、伝承によると伊勢神宮に納める神税の御蔵跡地であることから、神宮様と称して広く崇敬され栄えてきた由緒ある神社。創建年代の詳細は不明で、平安時代末期に摂津国今福村が開発されたときに建てられたと伝えられているそうです。現在の社殿は、享保2年(1742年)・天保13年(1842年)に改修され、昭和7年に改築された桃山様式の風雅な流れ造の建物。今でこそ町の中に位置していますが、昔は小高い丘に鎮座し、榎並荘一帯の氏神として崇敬されていたそうです。
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さらに、南に進みます。

八剱神社(やつるぎじんじゃ)
応永3年(1396年)の創祀と伝えられ、速素盞鳴尊(はやすさのおのみこと)・水波能売神(みずはのめのかみ)を祭神としています。宝暦年間に京都下鴨の神主が記録した社記によれば、応永のはじめのある夜、鴫野村住民の夢の中に一人の老翁が現れ、「吾は熱田の神なり、跡を此の地に垂れんと欲す。明日汝等出て来て吾を淀川の辺に迎えよ」とのお告げがあったので、翌日、村民十数人を呼んで河辺に来ると小蛇が陸に上がって行ったそうです。その姿は大変悠々としていて、一同がこれに従って行くと、小蛇は川を越えて当地に入り、その留まったところに小さな祠を建てて祀ったのが当社の始まりとされているそうです。また、八劔神社は、宮相撲が盛んで、境内に昭和36年に建てられた「郷土宮相撲米川部屋頭取碑」があり、面白い四股名が刻まれています。さらに、当社には、鴫野村の検地帳が保存され、近世の研究史料となっているそうです。
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八坂神社(やさかじんじゃ)
京都の八坂神社の分社で素戔鳴尊(すさのおのみこと)をお祀りしています。大正2年(1913年)10月14日に永田村の水神社(現在永田4丁目蓮乗寺の一部)とともに八劔神社に合祀されるまで、天王田の氏神様でした。合祀されたあと神社の跡地は長い間(約70年間)荒れ放題で狛犬だけが転がっていたとのことです。昭和55年(1980年)に天王田地区の人々の強い懇願と協力により元の場所に再建されました。当社の縁起によると、昔、村の側を流れていた楠根川の上流から金色に光るものが流れてくるのを当地の庄屋さんが網ですくい上げ、家に持ち帰ってみると牛頭天王と墨書された木簡でありこれをお祀りしたことに始まるそうです。
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第二寝屋川を渡ります。
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左専道公園に着きました。
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左専道公園 で昼食休憩になりました。


昼食休憩後、不動寺、諏訪神社、東中浜公園、白山神社を経由して森ノ宮駅まで歩きました。

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不動寺(ふどうじ)
真言宗の寺院。本尊は不動明王。豊臣秀吉が大坂城を築城した時、現在の生玉神社のあたりにあった不動堂は取り壊され、慶長7年(1602年)東成郡木野村に再建されましたが、その後たびたび水害に見舞われたので、宝暦9年(1759年)に現在の場所に移されました。大阪四不動尊詣のひとつとして、東方を担っています。江戸時代には広く信者を集め、参詣の列が絶えないほどの賑わいでしたが、明治の廃仏毀釈の影響で、当時のにぎわいはほとんど失われたそうです。
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諏訪神社(すわじんじゃ)
長野県にある諏訪大社の全国に5千ある分社にひとつ。創建の年代は不明。境内に現存する古い石灯籠に『承和3年(836年)4月寄進』と刻まれているところから、今から1200年ほど前の平安時代に創建されたと考えられ、祭神は、建御名方刀美命(たけみなかとみのみこと)・八坂刀売命(やさかとめのみこと)だそうです。
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東中浜公園を経由して白山神社に向かいます。
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白山神社(しらやまじんじゃ)
白山神社は、菊理媛神(くくりひめのかみ)を祭神としています。創建年月は不詳ですが、明治5年(1872年)までは、白山権現と称していました。応永(15世紀初頭)の頃までは中浜・鴫野・森の諸村の氏神でした。天正4年(1576年)織田信長が石山本願寺を攻撃した時、社殿を焼失しましたが、慶長8年(1603年)豊臣秀頼により再建されました。しかし、同19年(1614年)大坂冬の陣による兵火で再び焼失しました。元和3年(1617年)再建されますが、その後も幾度かの改築・修理が加えられ現在に至っています。また、神社の境内にある「イチョウ」の木は、大阪府の天然記念物に指定されているそうです。
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この後、森ノ宮駅まで歩きました。


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ご訪問していただきありがとうございました。




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