09.西淀川区をあるく(大阪) [ウォーキング大阪24区]
「西淀川区をあるく」に参加してきました。(20180109)
姫島神社
西淀川区の歴史的な街並みと尼崎市の七福神を訪れてきました。
当日は晴れ、10.4℃。気持良いウォーキングになりました。
尼崎七福神
江戸時代初期、尼崎城築城の際に寺院を一箇所にまとめられ、今も都会に静かな佇まいを残す尼崎寺町。この近くにあって漁港・工業都市として中世から戦後に街の営みを支えた商店街。この地域のゆかりや伝説から寺町と商店街をつなぐ「尼崎寺町の七福神」が生まれた。地元漫画家・尼子騒兵衛さんが描いた七福神の色紙に、7つの寺社に置かれたスタンプを押し、幸せや縁起を呼べるように祈りながら楽しめるそうです
イラスト(ネットから引用させていただきました)
尼崎七福神は以下の神様です。
尼崎えびす神社 恵比寿神 商売繁盛の福宝
本興寺 大黒天 財宝繁栄の福宝
長遠寺 毘沙門天 家門隆昌の福宝
大覚寺 弁才天 知恵・縁結びの福宝
法園寺 布袋尊 家庭円満子宝の福宝
常楽寺 寿老人 長寿・延命の福宝
貴布禰神社 福禄寿 開運出世の福宝
集合場所阪神尼崎駅を出発して尼崎七福神(尼崎戎神社、貴布禰神社、本興寺など)、桜井神社、初嶋大神宮、中島新橋を経由して中島公園まで歩きます。
阪神尼崎駅近くの広場
広場を出発して商店街の中を歩くと直ぐに尼崎戎神社に着きました。
尼崎戎神社(あまがさきえびすじんじゃ)【恵比寿神】
尼崎えびす神社は平安時代の醍醐天皇以前。菅原道真が大宰府へ赴く途中、尼崎の海辺の神社に立ち並ぶ老松や砂浜の美しさに目を奪われて「ここは殊のほかよき浦なり 松は琴柱の並びたるがごとし」と歌を詠まれた。この歌にちなんで、尼崎は「琴の浦」と呼ばれるようになり、この古名の発祥は当神社だと言われているそうです。
少し休憩の後、貴布禰神社から寺町を通り本興寺に向かいます。
貴布禰神社(きふねじんじゃ)【福禄寿】
貴布禰神社の発祥は、鴨社領長洲御厨と深い関係のある京都府の貴布禰総本宮貴船神社の分社である長洲貴布禰神社と伝えられ、中世尼崎町の発展とともに尼崎総社として分祀され、1326年(嘉暦元)現在の尼崎城三の丸跡に開創されたといわれています。1617年(元和3)尼崎藩主戸田氏鉄が尼崎城を築城する際に、現在の西桜木町に移転、さらに1715年(正徳5年)現在の西本町に移転されたそうです。
長遠寺(ちょうおんじ)【毘沙門天】、大覚寺(だいかくじ)【弁才天】
法園寺(ほうえんじ)【布袋尊】、常楽寺(じょうらくじ)【寿老人】
本興寺(ほんこうじ)【大黒天】
寺町の中心的寺院。室町時代1420年に創建。桃山期の華麗な開山堂・三光堂があり、11月3日の虫干会では寺宝を公開しています。境内には枯れたことのない霊水井戸があるそうです。
桜井神社(さくらいじんじゃ)
尼崎城址に明治15年(1882年)建立。本殿及び拝殿は建立当時のもの。境内には最後の城主・忠興が設立に係わった博愛社(のちの日本赤十字社)の記念碑がある。また拝殿前左には尼崎城の棟瓦が飾られているそうです。
この後、初嶋大神宮、中島公園へ向かいます。
初嶋大神宮 (はつしまだいじんぐう)
創始は不詳。正和年間(14世紀)といわれていて、『尼崎志』には、近江坂本の日吉神社に属する一社が尼崎に祀られ、のち別所町と別所村に分社。別所町南浜(現東本町4丁目)の初嶋恵比寿が築地開発にともない寛文6年(1666)現在地に移築された。享保年間のころ初島恵比寿を初島大神宮と改称された記録もあるそうです。
中島新橋を渡りました。
中島公園に着きました。
中島公園で昼食休憩になりました。
昼食休憩後は出来島水門、姫島神社、野里住吉神社、JR塚本駅歩きました。
出来島水門を通過します。
姫島神社(ひめじまじんじゃ)
創建不明。当地は難波八十島の姫島の旧地で、『摂津風土記』に女神が新羅より遁れて来た比売島松原をこの地とする説があるそうです。
野里住吉神社(のざとすみよしじんじゃ)
永徳2年(1382)、足利義満の創建と伝えられる神社。野里という町は、明治末期の新淀川開削で、旧中津川の右岸(現西淀川)に沿って開かれた昔からある村落。同社には、「一夜官女」(いちやかんにょ)という珍しい神事がある(府の無形文化財)ことで知られているそうです。
この後、JR塚本駅まで歩きました。
ご訪問していただきありがとうございました。
姫島神社
西淀川区の歴史的な街並みと尼崎市の七福神を訪れてきました。
当日は晴れ、10.4℃。気持良いウォーキングになりました。
尼崎七福神
江戸時代初期、尼崎城築城の際に寺院を一箇所にまとめられ、今も都会に静かな佇まいを残す尼崎寺町。この近くにあって漁港・工業都市として中世から戦後に街の営みを支えた商店街。この地域のゆかりや伝説から寺町と商店街をつなぐ「尼崎寺町の七福神」が生まれた。地元漫画家・尼子騒兵衛さんが描いた七福神の色紙に、7つの寺社に置かれたスタンプを押し、幸せや縁起を呼べるように祈りながら楽しめるそうです
イラスト(ネットから引用させていただきました)
尼崎七福神は以下の神様です。
尼崎えびす神社 恵比寿神 商売繁盛の福宝
本興寺 大黒天 財宝繁栄の福宝
長遠寺 毘沙門天 家門隆昌の福宝
大覚寺 弁才天 知恵・縁結びの福宝
法園寺 布袋尊 家庭円満子宝の福宝
常楽寺 寿老人 長寿・延命の福宝
貴布禰神社 福禄寿 開運出世の福宝
集合場所阪神尼崎駅を出発して尼崎七福神(尼崎戎神社、貴布禰神社、本興寺など)、桜井神社、初嶋大神宮、中島新橋を経由して中島公園まで歩きます。
阪神尼崎駅近くの広場
広場を出発して商店街の中を歩くと直ぐに尼崎戎神社に着きました。
尼崎戎神社(あまがさきえびすじんじゃ)【恵比寿神】
尼崎えびす神社は平安時代の醍醐天皇以前。菅原道真が大宰府へ赴く途中、尼崎の海辺の神社に立ち並ぶ老松や砂浜の美しさに目を奪われて「ここは殊のほかよき浦なり 松は琴柱の並びたるがごとし」と歌を詠まれた。この歌にちなんで、尼崎は「琴の浦」と呼ばれるようになり、この古名の発祥は当神社だと言われているそうです。
少し休憩の後、貴布禰神社から寺町を通り本興寺に向かいます。
貴布禰神社(きふねじんじゃ)【福禄寿】
貴布禰神社の発祥は、鴨社領長洲御厨と深い関係のある京都府の貴布禰総本宮貴船神社の分社である長洲貴布禰神社と伝えられ、中世尼崎町の発展とともに尼崎総社として分祀され、1326年(嘉暦元)現在の尼崎城三の丸跡に開創されたといわれています。1617年(元和3)尼崎藩主戸田氏鉄が尼崎城を築城する際に、現在の西桜木町に移転、さらに1715年(正徳5年)現在の西本町に移転されたそうです。
長遠寺(ちょうおんじ)【毘沙門天】、大覚寺(だいかくじ)【弁才天】
法園寺(ほうえんじ)【布袋尊】、常楽寺(じょうらくじ)【寿老人】
本興寺(ほんこうじ)【大黒天】
寺町の中心的寺院。室町時代1420年に創建。桃山期の華麗な開山堂・三光堂があり、11月3日の虫干会では寺宝を公開しています。境内には枯れたことのない霊水井戸があるそうです。
桜井神社(さくらいじんじゃ)
尼崎城址に明治15年(1882年)建立。本殿及び拝殿は建立当時のもの。境内には最後の城主・忠興が設立に係わった博愛社(のちの日本赤十字社)の記念碑がある。また拝殿前左には尼崎城の棟瓦が飾られているそうです。
この後、初嶋大神宮、中島公園へ向かいます。
初嶋大神宮 (はつしまだいじんぐう)
創始は不詳。正和年間(14世紀)といわれていて、『尼崎志』には、近江坂本の日吉神社に属する一社が尼崎に祀られ、のち別所町と別所村に分社。別所町南浜(現東本町4丁目)の初嶋恵比寿が築地開発にともない寛文6年(1666)現在地に移築された。享保年間のころ初島恵比寿を初島大神宮と改称された記録もあるそうです。
中島新橋を渡りました。
中島公園に着きました。
中島公園で昼食休憩になりました。
昼食休憩後は出来島水門、姫島神社、野里住吉神社、JR塚本駅歩きました。
出来島水門を通過します。
姫島神社(ひめじまじんじゃ)
創建不明。当地は難波八十島の姫島の旧地で、『摂津風土記』に女神が新羅より遁れて来た比売島松原をこの地とする説があるそうです。
野里住吉神社(のざとすみよしじんじゃ)
永徳2年(1382)、足利義満の創建と伝えられる神社。野里という町は、明治末期の新淀川開削で、旧中津川の右岸(現西淀川)に沿って開かれた昔からある村落。同社には、「一夜官女」(いちやかんにょ)という珍しい神事がある(府の無形文化財)ことで知られているそうです。
この後、JR塚本駅まで歩きました。
ご訪問していただきありがとうございました。