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京の七口シリーズ2_鳥羽口(京都) [ウォーキング京都市]

「京の七口シリーズ2_鳥羽口」に参加してきました。(20171224)


羅城門跡
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京の七口の一つである鳥羽口を中書島から京都駅まで歩いてきました。

当日は曇り、最高気温13.6度。気持ち良いウォーキングでした。


京の七口
室町期から江戸期にかけて、京都と諸国とを結ぶために設けられた街道の出入口。七という数は一定したものでなく時代によって変化した。七口とは五畿七道の七、七口も時代の要請に従って変わり六口の時や十口以上の場合もある。1591年(天正19)豊臣秀吉が洛中四辺に御土居を築造したため一応の固定化をみた。主な七口には粟田口・東寺口・丹波口・鳥羽口・鞍馬口・大原口・荒神口がある。これらの名称も場所も時代とともに変動した。中には粟田口・鞍馬口・荒神口のように現在の地名として残っている。また駅名ではJR山陰線「丹波口」、近鉄「上鳥羽口」があるそうです。

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地図 (1).jpg




中書島駅近くの公園を出発して金札宮、大黒寺、津和橋、経由して鳥羽離宮跡公園まで歩きます。

集合場所中書島駅近くの伏見港公園
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出発して直ぐに疎水沿いを歩きます。
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金札宮に着きました。

金札宮(きんさつぐう)
京都伏見の当社・金札宮は、伏見で最も古い神社のひとつで祭祀を司る霊験あらたかな天太玉命(白菊翁・白菊大明神)を祀りまた観阿弥の謡曲「金札」や、ご神木で京都市指定天然記念物のクロガネモチの木でも知られ開運と幸運を呼ぶ神社として永く人々の尊崇を集めているそうです。
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すぐ横に大黒寺がありました。

大黒寺(だいこくじ)
円通山と号し、空海(弘法大師)の開基と伝える真言宗東寺派の寺で、もとは長福寺といった。豊臣秀吉が深くこの寺を信奉したのをはじめ、武家の信仰が深かったが、元和元年(1615)伏見奉行山口駿河守(するがのかみ)は、薩摩藩主島津家久の命をうけて、この寺を武運長久の祈願所に定め、寺名を大黒寺と改めたという。本尊聖観音立像と出世大黒天立像は空海が当寺を創立したとき安置したものと伝えている。幕末に西郷隆盛などの志士が国事を論じたという一室があるほか、明治維新志士の遺墨等を所蔵する。境内には、西郷隆盛が建てたという有馬新七ら寺田屋殉難九烈士の墓碑をはじめ、伏見義民の文珠九助(もんじゅうきゅうすけ)、木曽川治水工事の犠牲となった薩摩藩家老平田靭負(ゆきえ)の墓があるそうです。
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少し休憩後、鳥羽離宮跡公園に向かいます。

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津和橋を左に曲がります。
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鳥羽離宮跡公園 に着きました。
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鳥羽離宮跡公園で昼食休憩になりました。


休憩後、浄禅寺、羅城門跡、東寺まで歩きました。

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浄禅寺(じょうぜんじ)
鳥羽離宮の北面の武士であった遠藤盛遠は、渡辺左衛門尉源渡の妻袈裟に横恋慕し、その夫 源渡を殺して袈裟御前を我ものにしようとする。袈裟御前は一計を案じ、自ら夫の身代わりとなって遠藤盛遠に殺される。その事実を知った遠藤盛遠は自らの罪を悔いて出家し文覚と名乗った。それ以後文覚は全国各地を廻って荒行し、のちに高雄神護寺等を再興した。恋塚は袈裟御前の首を埋めた塚で、1647年(正保4)当時の領主 永井日向守直清が林羅山に撰させて袈裟御前の貞女を顕彰した碑が境内に建つ。浄土宗西山禅林寺派。「京の六地蔵めぐり」の一つ「鳥羽地蔵尊」として知られる。観音堂には9~10世紀とされる十一面観世音菩薩(京都市指定文化財)を祀る。開山は1182(寿永元)年、または1144(天養元)とも云われているそうです。
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千本通りを通り羅城門跡、東寺に向かいます。
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羅城門跡(らじょうもんあと)
794年(延暦13)に建設した平安京の正門。東西4.5キロ、南北5.3キロの京域中央部の南端に羅城門がそびえ、北端の朱雀門と相対していた。門は正面33メートル、奥行8メートル。二重閣瓦屋根造で棟両端に金色の鴟尾を置く。鬼の腕切りなど能・小説・映画「羅生門」で有名だそうです。
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東寺(とうじ)
東寺真言宗の総本山。794年(延暦13)の平安京造営に際し、その2年後、国家鎮護のため羅城門の東に創建。823年(弘仁14)空海(弘法大師)に下賜された。講堂(重文)には大日如来を中心に国宝の五大明王など21体の仏像を安置。この配列は立体曼荼羅といわれる。金堂(国宝)は豊臣秀頼の再建。大師堂(御影堂・国宝)は、大師在世時の住房で、弘法大師像(国宝)と、大師念持仏の不動明王坐像(国宝)を安置。五重塔(国宝)は徳川家光が再建、高さ55メートルで、わが国最高。内部は非公開。宝物館に真言密教の文化財多数を陳列。1994年(平成6)12月「古都京都の文化財」として、「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録されたそうです。
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この後、JR京都駅まで歩きました。

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ご訪問していただきありがとうございました。




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