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熊野街道をあるく その4(大阪) [ウォーキング京街道_熊野街道]

「熊野街道をあるく その4」に参加してきました。(20171128)

池上曽根遺跡公園
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今年のウォーキングの目標の一つ「熊野街道をあるく」に参加しました。

熊野街道
熊野街道は大阪天満の八軒家浜を起点として和歌山の熊野三山に至る街道です。
今回の「熊野街道をあるく」は大阪天満宮から東岸和田までを5回に分けて歩きます。



熊野街道全体 (3).JPG



今回は第4回目として鳳駅から和泉府中駅まで歩きました。


当日は晴れ、最高気温19.2℃。気持ち良いウォーキングになりました。


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集合場所鳳駅を出発して等乃伎神社、旧府神社、葛葉稲荷神社、篠田王子像を経由して信太の森ふるさと館まで歩きます。

鳳駅近くの公園
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等乃伎神社(とのぎじんじゃ)
古事記にも掲載された巨木伝説に通じる楠は御神木として崇められ、現在も当神社の社業は高石市の数少ない自然保護樹林に指定されているそうです。また、お守りの数は日本で3本の指に入るほど豊富だそうです。
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熊野街道の看板がありました。
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旧府神社から葛葉稲荷神社、信太の森ふるさと館に向かいます。
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旧府神社(ふるふじんじゃ)
延喜式内の古社であるが、詳細な創建年月や創設当初の祭神は不明。三代実録(901年)に『貞観元年(西暦859年平安時代)五月七日壬戌。和泉国舊府神列於官社。同八月十三日丙申。和泉国無位舊府神授正五位下』と記録されている。江戸時代には「牛頭天王社」とも称され明治5年に村社に列せられた。大正4年6月23日には葛之葉町の信太森葛葉稲荷神社に合祠されたが、翌年、元の社殿に奉祀されたそうです。
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葛葉稲荷神社(くずのはいなりじんじゃ)
正式名称は信太森神社であり、葛葉稲荷神社は通称。本殿の外に拝殿・神饌所を有し、末社に楠木神社・厳島神社・白狐社を持つ。また狐塚があったとされる。安倍晴明所縁の社。文学・歌舞伎などで知られる『葛の葉物語』の舞台となった場所で、清明の母・白狐が住んでいたと伝えられる。豊穣・商売繁盛の他、学徳成就・良縁祈願・安産祈願・子宝・夜泣き・交通安全に御利益がある。陰陽師・安倍晴明が信太の森の白狐を母として生まれたという「葛葉伝説」の舞台として知られています。また、「千枝のクス」とも「夫婦クス」とも呼ばれる樹齢約700年のクスの巨木は市天然記念物に指定されているそうです。
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信太の森ふるさと館(しのだのもりふるさとかん)
信太の森は聖神社・信太山一帯に広がっていたと考えられてて、農地の拡大、須恵器の生産などで植生は変化した。明治以降、大部分が陸軍や自衛隊の演習場となり乱開発をまぬがれてきて、大阪の貴重な自然環境を残してきた。信太の森の鏡池史跡公園はかつての信太の森の中心部に近く、聖神社の宗教儀礼の場であり、「葛の葉伝説」の舞台として伝承されてきました。このほとりで、白狐と保名が出会ったとされ、最後の童子丸(晴明)との別れの場でもあったと伝えられているそうです。展示室には安倍晴明誕生の「葛の葉伝説」や和歌・文学のふるさと。文楽、歌舞伎、瞽女唄(ごぜうた)や文学、ゆかりの地などを写真や資料で紹介。また、植物、野鳥や昆虫や歴史なども紹介しているそうです。
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信太の森の鏡池
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ここで昼食休憩になりました。


昼食休憩後は聖神社、八阪神社、池上曽根遺跡公園、曽根神社、泉穴師神社を経由して和泉府中駅まで歩きました。

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聖神社(ひじりじんじゃ)
和泉国三宮であり、大鳥、泉穴師、積川、日根の各神社とともに五社大明神として知られる。聖神(ひじりのかみ)を祭神とし、信太聖神または信太明神ともいう。白鳳3年(675)、天武天皇の勅願によって創建されたとされ、往時は広大な神域を誇っていた。慶長9年(1604)に豊臣秀頼によって造営された本殿、末社の三神社は共に国の重要文化財に指定されている。聖は「日知り」の意で、暦の神様として渡来氏族の陰陽師が信仰していたといわれている。葛葉稲荷と同様、この神社にも、阿倍保名と妻の葛葉姫(くずはのひめ)、その子どもで、後の陰陽師・安倍晴明にまつわる伝承が残っているそうです。
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八阪神社(やさかじんじゃ)
創建年代は不詳。京都の八坂神社より御分霊を勧請したという御祭神は素戔嗚尊。本殿・拝殿は、江戸時代前期の貞享元年(1684年)に改築された。信太地区の各氏神は信太森葛葉稲荷神社に合祀されたが、当社のみ、合祀される図に現在に至っている。和泉だんじり祭りを構成する一つで、信太郷の総氏神である聖神社とともに、信太・幸地区となるそうです。
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池上曽根遺跡公園(いけがみそねいせきこうえん)
大阪府和泉市池上町の南北1.5km、東西0.6kmの総面積60万㎡という全国屈指の規模を持つ弥生時代の環濠集落(周囲を溝で囲んだ集落)跡地に作られた公園。'95年に発見された東西19.2m、南北6.9m、面積133㎡にも及ぶ弥生時代最大級の規模をもつ建物や、直径2.3mのクスノキの大木を刳りぬいて井筒にした日本最大の刳りぬき井戸の遺構と共に、竪穴住居など2千年前の集落が復元されているそうです。
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曽根神社(そねじんじゃ)
曽禰氏の祖神を祀る。素盞嗚尊いかは後の配祀。弥生前期の大規模遺跡である池上曽根遺跡に隣接している。神域ゆえ発掘されていないが、おそらくここからは祭祀関係の遺跡が出るものと思われる。 この遺跡の大型掘立柱建物のヒノキの柱は紀元前52年に伐採されている。和泉には大鳥大社の北側に四ツ池遺跡もあり、その他銅鐸も出ており、弥生前期より力のある豪族の存在を思わせるそうです。
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泉穴師神社に向かいます。
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泉穴師神社(いずみあなしじんじゃ)
7世紀の創建と伝えられ、和泉五社(大鳥・泉穴師・聖・積川・日根)のひとつであり、和泉市内にある最大の神社でもある。祭神は夫婦二柱、男性が農業、女性が繊維の神。また境内には、樹齢約600~800年といわれる、幹まわり4.5m以上のクスノキが十数本あり、同市の天然記念物に指定されているほか、大木が茂る境内は「泉穴師神社の森」として、野鳥、昆虫が多く見られ、「大阪みどりの百選」にも選ばれているそうです。
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穴師公園で休憩になりました。
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この後、和泉府中駅まで歩きました。


ご訪問していただきありがとうございました。



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