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緑豊かな古社古寺公園めぐり(大阪) [ウォーキング大阪府北中部]

「緑豊かな古社古寺公園巡り」に参加してきました。(20171018)

総持寺
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大阪茨木・高槻の歴史的な古社古寺などの街並みを歩いてきました。

当日は曇り、20.2℃。気持の良いウォーキングになりました。




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集合場所茨木駅を出発して岩倉公園、茨木神社、安威川・茨木川合流の碑を経由して西河原公園まで歩きます。

JR 茨木駅
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茨木駅近くの岩倉公園です。
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元茨木川緑地を歩きます。
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茨木神社(いばらきじんじゃ)
中条村・茨木村の氏神として多くの人々の崇敬を集め、楠木正成公が茨木城築城の際、現在の地へ奉遷し、以後代々の城主は厚い崇敬を捧げた。特に豊臣時代には、城主中川清秀、片桐貞隆等が上田を寄進し、徳川時代に、藩主永井家、大阪城代等から祭礼毎に重役を代参させるなど氏子と共に尊崇の誠を捧げたそうです。
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再び元茨木川緑地を歩きます。
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安威川・茨木川合流の碑(あいがわ・いばらぎがわごうりゅうのひ)
茨木川は、昭和初期までは茨木市北部の山地部から中央部を安威川と並行して流れ、三宅村で合流していました。昔は川幅が狭く、天井川で堤防の土質も軟弱なため、洪水のたびに破堤してたびたび大災害を起こしました。昭和10年(1935年)の水害後に河川改修事業を実施陳情書を提出。昭和16年(1941年)に茨木川は安威川に合流され現在の姿となりました。合流点以南は昭和24年(1949年)に廃川となり、現在は元茨木川緑地として整備され、人々の憩いの場となっています。洪水に悩み、懸命に努力を重ねてきた先人の賢明さとねばり強さを知り、苦労に感謝し、その功績を顕彰し、また、後世に引き継いでいくため、合流由来碑が建立されたそうです。
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西河原公園近く、安威川を渡ります。
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西河原公園に着きました。
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ここで、昼食休憩になりました。


昼食休憩後、新屋坐天照御魂神社、疣水神社・磯良神社、総持寺、三輪神社、普門寺を経由してJR 摂津富田駅まで歩きました。

新屋坐天照御魂神社(にいやにますあまてるみたまじんじゃ)
「新屋坐天照御魂」を社名とする神社は大阪府茨木市内に三社あり、延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳』に「新屋坐天照御魂神社三座 並名神大月次新嘗 就中天照御魂神一座預相嘗祭」として記載される式内社(名神大社)。西福井が中心的な神社。社名にある「新屋」とは「新野」を意味し、古代における新開拓地の意味であるとされるそうです。
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疣水神社(いぼみずじんじゃ)・磯良神社(いそらじんじゃ)
神功皇后(じんぐうこうごう)が戦に行く時、自分が女であることから、このままの姿では敵に嘗(な)められるので、男装をし、顔をいかめしくするため疣(いぼ)を身につけようと思い、通りかかったこの神社に立ち寄り、祈願して社の前から湧き出ている清水で顔を洗いました。すると、美しかった顔がたちまち大きな疣だらけの黒い顔となりました。戦いが終り、磯良(いそら)神社に戦勝の報告をしたあと、再び社前の清水で顔を洗うと、いままでの醜い顔が消え去り、もとの美しい姿に戻ったので喜び勇んで大和の王城に帰りました。後に磯良神社は、疣水神社と呼ばれ、遠くからもこの清水をくみ取りに来る人が見られるようになりました。
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総持寺(そうじじ)
総持寺は、大阪府茨木市にある高野山真言宗の寺院。山号は補陀洛山 (ふだらくさん)。西国三十三所第22番札所。本尊は千手観音だそうです。
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三輪神社、普門寺に向かいます。
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三輪神社(みわじんじゃ)
大己貴命(おおなむちのみこと)を祀る三輪神社。大和国三輪山に鎮座する大神(おおみわ)神社から勧請したとされ、もとは普門寺の鎮守社とも、富田村の産土神(うぶすながみ)ともいわれています。寛永16年(1639)に普門寺の龍渓禅師により再興され、寛延2年(1749)に社殿が修復されたことが、神社に残る奉加帳序や棟札からうかがえます。富田は、江戸時代の初めに酒造りが隆盛をきわめ、24軒もの造り酒屋があったといい、三輪神社は酒の神様を祀る神社として人々の信仰を集めています。本殿、合の間、拝殿で構成される社殿や、灯籠、狛犬など江戸時代の建物や石造物がよく残っているそうです。
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普門寺(ふもんじ)
明徳元年(1390年)、僧・説厳により創建。戦国中期には、室町幕府の管領・細川晴元や、14代将軍・足利義栄も滞在したことから、普門寺城とも呼ばれた。方丈(本堂)は国の重要文化財、枯山水庭園と石畳は国の名勝に指定されているそうです。
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この後、摂津富田駅まで歩きました。
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ご訪問していただきありがとうございました。



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