19.淀川区をあるく(大阪) [ウォーキング大阪24区]
「淀川区をあるく」に参加してきました。(20171010)
神崎川河川敷
大阪淀川区の歴史的な街並みなどを歩いてきました。
当日は晴れ、28.5℃。気持の良いウォーキングになりました。
集合場所塚本駅近くの公園を出発して家具波志神社、富光寺、神崎川河川敷を経由して新高中央公園まで歩きます。
塚本駅近くの公園
公園を出発して家具波志神社、富光寺に向かいます。
家具波志神社(かぐはしじんじゃ)
天徳3年(959年)創建の古い歴史を持つ神社です。中世から江戸時代は稲荷信仰の中心地で「加島稲荷」と呼ばれました。祭礼の神輿に西国大名が道を譲ったほど威勢があったそうです。加島には元文3年(1738年)銭座が置かれ、品質のよい銅銭が造られました。神社の境内にある「香文館」には、この銭座の記録や、松木淡淡(俳人)・上田秋成の遺墨など、すばらしい社宝が保存されています。他に「楠木正儀駒つなぎ楠」、三好長慶奉納鳥居沓石」などもあるそうです。
富光寺(ふっこうじ)
大化年間(645~650年)に、インドから来日し数々の奇跡を見せた法道上人が、当地区付近から霊光が出るとして阿弥陀仏を自ら彫り、堂を建て安置したのが当寺の起こりだとの伝承があります。この仏像は藤原前期の作と思われる丈六の見事なもので荘厳なたたずまいがあふれています。また、ある尼が聖徳太子の夢告を受け、草むらから仏舎利を拾い、当寺に納めたとの話も広く知られています。鎌倉時代には将軍北条時頼も訪れた古樹の繁茂する壮大な寺院だそうです。
少し休憩後、神崎川沿いに新高中央公園に向かいます。
旧猪名川です。
神崎川河川敷を歩きます。
新高中央公園に着きました。
ここで、昼食休憩になりました。
昼食休憩後、十八条中央公園、蒲田神社、長柄人柱厳氏碑を経由して新大阪駅まで歩きました。
再び、神崎川河川敷を歩きます。
商店街の中を歩きます。
十八条中央公園に着きました。
蒲田神社(かまたじんじゃ)
室町時代(1338~1573年)に地元の有力者佛生院又三郎が、「室の明神」の分霊をいただいて、村の鎮守として創建した神社。この付近は、蒲の生い茂る田園情緒豊かな所でしたから、明治42年からこの社名になりました。今も境内には大きな楠があるそうです。
長柄人柱厳氏碑(ながらひとばしらいわおしのひ)
仁徳天皇が413年に高津宮を開かれたとき、摂津国長柄江には、多くの大小の島や沼沢、湿地帯、そして流れの速い所があり、大雨ともなればたちまち氾濫するなど、大変な交通の難所でした。そこで、都から山陰、山陽へ行くためには、長柄橋を造ることが仁徳天皇から推古天皇に至る200年間の最大の政治課題でした。推古天皇は、長柄橋の建設にとりかかられましたが、いま一歩というところで風水害にあい工事の中止を余儀なくされました。そのとき、垂水(豊津付近)の長者巌氏は、一身を犠牲にして長柄橋を完成することができれば、日ごろの報恩の精神に達することができると、人柱になることを献言しました。こうして、巌氏は白装束に身を包み、合掌し法華経を唱えつつ、生きながら川底に沈んだのです。人柱の霊験によって工事が進捗し、長柄大橋も竣工するに至ったといわれ、623年勅命によって大願寺が建立され、その寺内に徳を称えて碑が建立されたそうです。
この後、新大阪駅まで歩きました。
ご訪問していただきありがとうございました。
神崎川河川敷
大阪淀川区の歴史的な街並みなどを歩いてきました。
当日は晴れ、28.5℃。気持の良いウォーキングになりました。
集合場所塚本駅近くの公園を出発して家具波志神社、富光寺、神崎川河川敷を経由して新高中央公園まで歩きます。
塚本駅近くの公園
公園を出発して家具波志神社、富光寺に向かいます。
家具波志神社(かぐはしじんじゃ)
天徳3年(959年)創建の古い歴史を持つ神社です。中世から江戸時代は稲荷信仰の中心地で「加島稲荷」と呼ばれました。祭礼の神輿に西国大名が道を譲ったほど威勢があったそうです。加島には元文3年(1738年)銭座が置かれ、品質のよい銅銭が造られました。神社の境内にある「香文館」には、この銭座の記録や、松木淡淡(俳人)・上田秋成の遺墨など、すばらしい社宝が保存されています。他に「楠木正儀駒つなぎ楠」、三好長慶奉納鳥居沓石」などもあるそうです。
富光寺(ふっこうじ)
大化年間(645~650年)に、インドから来日し数々の奇跡を見せた法道上人が、当地区付近から霊光が出るとして阿弥陀仏を自ら彫り、堂を建て安置したのが当寺の起こりだとの伝承があります。この仏像は藤原前期の作と思われる丈六の見事なもので荘厳なたたずまいがあふれています。また、ある尼が聖徳太子の夢告を受け、草むらから仏舎利を拾い、当寺に納めたとの話も広く知られています。鎌倉時代には将軍北条時頼も訪れた古樹の繁茂する壮大な寺院だそうです。
少し休憩後、神崎川沿いに新高中央公園に向かいます。
旧猪名川です。
神崎川河川敷を歩きます。
新高中央公園に着きました。
ここで、昼食休憩になりました。
昼食休憩後、十八条中央公園、蒲田神社、長柄人柱厳氏碑を経由して新大阪駅まで歩きました。
再び、神崎川河川敷を歩きます。
商店街の中を歩きます。
十八条中央公園に着きました。
蒲田神社(かまたじんじゃ)
室町時代(1338~1573年)に地元の有力者佛生院又三郎が、「室の明神」の分霊をいただいて、村の鎮守として創建した神社。この付近は、蒲の生い茂る田園情緒豊かな所でしたから、明治42年からこの社名になりました。今も境内には大きな楠があるそうです。
長柄人柱厳氏碑(ながらひとばしらいわおしのひ)
仁徳天皇が413年に高津宮を開かれたとき、摂津国長柄江には、多くの大小の島や沼沢、湿地帯、そして流れの速い所があり、大雨ともなればたちまち氾濫するなど、大変な交通の難所でした。そこで、都から山陰、山陽へ行くためには、長柄橋を造ることが仁徳天皇から推古天皇に至る200年間の最大の政治課題でした。推古天皇は、長柄橋の建設にとりかかられましたが、いま一歩というところで風水害にあい工事の中止を余儀なくされました。そのとき、垂水(豊津付近)の長者巌氏は、一身を犠牲にして長柄橋を完成することができれば、日ごろの報恩の精神に達することができると、人柱になることを献言しました。こうして、巌氏は白装束に身を包み、合掌し法華経を唱えつつ、生きながら川底に沈んだのです。人柱の霊験によって工事が進捗し、長柄大橋も竣工するに至ったといわれ、623年勅命によって大願寺が建立され、その寺内に徳を称えて碑が建立されたそうです。
この後、新大阪駅まで歩きました。
ご訪問していただきありがとうございました。