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熊野街道をあるく その2(大阪) [ウォーキング京街道_熊野街道]

「熊野街道をあるく その2」に参加してきました。(20170926)

仁徳天皇陵
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今年のウォーキングの目標の一つ「熊野街道をあるく」に参加しました。

熊野街道
熊野街道は大阪天満の八軒家浜を起点として和歌山の熊野三山に至る街道です。今回の「熊野街道をあるく」は大阪天満宮から東岸和田までを5回に分けて歩きます。


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今回は第2回目として住吉大社から方違神社、百舌鳥八幡宮などを経由して中百舌鳥駅まで歩きました。


当日は晴れ、最高気温30℃。暑い中のウォーキングになりました。


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集合場所住吉大社を出発して止止呂支比売命神社、極楽寺、遠里小野南公園、境王子跡、方違神社、三国ケ丘公園まで歩きます。

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住吉大社(すみよしたいしゃ)
全国に約2,300社ある住吉神社の総本社。下関の住吉神社、博多の住吉神社とともに日本三大住吉の一社。また、毎年初詣の参拝者の多さでも全国的に有名。四棟の本殿は国宝に指定されているそうです。
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熊野街道を歩きます。
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止止呂支比売命神社(とどろきひめのみことじんじゃ)
御祭神は素戔嗚尊、稲田姫尊。摂社は霰松原荒神社/天水分豊浦命神社(式内社)三宝荒神(天水分命、奥津彦命、奥津姫命)、大国主命、事代主命。創建年代は不明。しかし、延喜式にはその名の記載がある。社名のトドロキとは当時の境内にあった橋の名前。承久3年(1221年)後鳥羽天皇が、当社境内松林内に行宮を立てて以降、若松宮あるいは若松神社と言われる。それ以前は、住吉大社の摂社(奥の院)とされていたそうです。
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極楽寺(ごくらくじ)
創建年は不祥。本尊毘沙門天はここから南に広がっていた榎津庄(奈良~平安期に見られる郷)にあった寺のものと伝えられている。境内には大きな一基の毘沙門天石灯籠がある。表面の磨滅は甚だしいが、建武3年(1336)丙子3月の銘があり、重要文化財に指定。一説によると当寺に祈願して誕生した楠木正成の寄進と伝えられているそうです。
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農神社
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遠里小野南公園に着きました。
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少し休憩した後、大和川を渡り、堺市に入ります。

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境王子跡(さかいおうじあと)
境王子は現在の大阪府堺市堺区北田出井町付近にあったと推定されている。この地域は、摂津国、河内国、和泉国の境があった場所で、境王子の名はこれに由来する。また、「堺」(「境」の別表記)という地名も境王子が置かれた平安時代後期から歴史文献に登場するようになり(1081年(永保元年)の『藤原為房卿記』には境王子が「和泉堺之小堂」という名称で登場し、これが「堺」という地名の初出である)、境王子がその由来となったと考えられているそうです。
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方違神社(ほうちがいじんじゃ)
河内・和泉・摂津三国の境にある方位のない清地とされ方除祈願で有名。遠方への旅や家を移る時などに参れば災難に会わないという言い伝えから、新築・転居等の厄除けで各地から多くの人々が参詣に来られるそうです。
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三国ケ丘公園に着きました。
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ここで昼食休憩になりました。




昼食休憩後は仁徳天皇陵、大仙公園、御廟山古墳、万代寺、百舌鳥八幡宮を経由して中百舌鳥駅まで歩きました。

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仁徳天皇陵の北側を歩きます。
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仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)
全長約486mの日本最大の前方後円墳。エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓の一つといわれ、上から見ると円と四角を合体させた前方後円墳という日本独自の形で、5世紀中ごろに約20年をかけて築造されたと推定されているそうです。
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冒頭の写真のところです。


大仙公園
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少し休憩後、御廟山古墳、百舌鳥八幡宮に向かいます。

御廟山古墳に着きました。

御廟山古墳(ごびょうやまこふん)
百舌鳥本町にある前方部を西に向けた前方後円墳。平成20年に行われた宮内庁と堺市による発掘調査により、規模が墳丘長約203m、後円部径約113m、前方部最大幅約136mと復元された。墳丘は3段に築かれていて、南側のくびれ部には造出しがあります。葺石と埴輪がありますが、埋葬の主体部の構造や副葬品などはわかっていません。周囲には盾形の濠と堤がめぐっていますが、最近の調査で二重の濠があることがわかっています。墳丘は陵墓参考地として宮内庁が管理しているそうです。
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万代寺(まんだいじ)
行基により開基されたと伝えられており、真龍山と号する。真言宗大覚寺末で阿弥陀仏を本尊としている。隣接する百舌鳥八幡宮の奥の院とも呼ばれる。古くより百舌鳥八幡宮とは関係が深いそうです。
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百舌鳥八幡宮(もずはちまんぐう)
欽明天皇(532~571年)のころに建てられたと伝えられ、うっそうとした境内と重厚なたたずまいは歴史の古さを感じさせます。本殿右前にある大くすは幹囲り5.2m、樹高25mで樹齢は700年とも800年ともいわれている名古木で、府の天然記念物に指定されています。また、毎年旧暦8月15日の中秋の名月にかけて、勇壮なふとん太鼓を繰り出す「月見祭」は、農作の祈願と満月を祝う風習とが合わさって神社の祭りになったものといわれ、記録によると300年以上の伝統があります。太鼓を仕込んだ台の上に、朱色の座布団を5段重ねにした造りのふとん太鼓は、高さ約4m、重さ約3tもあり約70人で担ぎ「ベーラベーラベラショッショイ」というかけ声と太鼓の音で、まちを練り歩いた後神社に奉納されるそうです。
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この後、中百舌鳥駅まで歩きました。
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ご訪問していただきありがとうございました。



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