思い出は映画と共に「3丁目の夕日」のロケ現場(兵庫) [ウォーキング兵庫県]
「思い出は映画と共に(3丁目の夕日)のロケ現場」に参加してきました。(20170829)
「3丁目の夕日」のロケ現場
兵庫尼崎の映画(3丁目の夕日)のロケ現場、尼崎の歴史的な街並みなどを歩いてきました。
当日は晴れ、33℃。暑かったですが、滝坂の道など気持の良いウォーキングになりました。
集合場所JR 尼崎駅を出発して長洲天満神社、ユニチカ記念館、大物神社、映画のロケ現場、寺町を経由して貴布祢公園まで歩きます。
JR 尼崎駅を出発します。
直ぐに南下して長洲天満神社を経由してユニチカ記念館に向かいます。
長洲天満神社(ながすてんまじんじゃ)
学問の神として尊崇される菅原道真を祭神として、道真が太宰府に流される途中に長洲で滞在した際に贈った自画像を祀ったのが由縁と伝えられています。長洲天満神社の本殿の建立年代は、神社に残された棟札から慶長12年(1607)と判明しています。桃山時代の特色をよく示した建造物で兵庫県指定重要文化財です。また、阪神・淡路大震災で被災し保存修理工事が行われた際、屋根の野地板の補修材として再利用されていた、市内では最も古い年紀が記された絵馬を含む27点が発見されて尼崎市指定文化財になったそうです。
ユニチカ記念館(ゆにちかきねんかん)
ユニチカ記念館は明治33年(1900)に尼崎で最初の大工場である尼崎紡績会社(現在のユニチカ)の本社事務所として建設された建物で、市内に現存する最も古い洋風建築です。煉瓦造り2階建て、設計は日本人によるものと思われますが、外壁を覆う赤煉瓦はイギリスからの輸入品と伝えられています。現在は、2階を展示室として公開し、創業当初からの貴重な資料が展示されているそうです。
この後、大物神社から映画のロケ地に向かいます。
大物神社(だいもつじんじゃ)
尼崎城下町の一つで、平安時代にはすでに船舶の発着地として発達していました。大物の地名由来には諸説ありますが、平安時代に港町として栄え、西日本各地からの材木の集散地として知られるようになり、取引された巨材を意味する「大物」から、この地を大物と呼ぶようになったとの説が有力です。大物浜から源義経が兄の頼朝の追討を逃れるため船出した史実が、のちに謡曲『船弁慶』や『義経千本桜』として歌舞伎でも上演されています。また平成7年の発掘調査では中国製の白磁や青磁の椀や壷などが大量に発見されたそうです。
尼崎市立文化財収蔵庫(あまがさきいちりつぶんかざいしゅうぞうこ)
市立尼崎高校の前身である尼崎市立高等女学校の校舎として建てられた建物で、回廊型(ロの字型)の平面を採用。校舎は2期に分けて竣工され、東側約3分の1は1933年3月の竣工で、これは尼崎市立学校の校舎としては現存最古の建物。また、残り約3分の2は1938年3月の竣工。1966年に尼崎高校が上ノ島町1丁目に移転したのに伴い、北城内47に所在していた城内中学校が本地に移転し、入れ替わりに城内高校が北城内47に移転。2005年4月に城内・育英両中学校が統合して成良中学校となり本地に所在しましたが、2007年4月に西長洲町2丁目の旧育英中学校所在地に新校舎を建設するとともに移転したため、旧校舎1階部分を尼崎市立文化財収蔵庫として活用することにななったそうです。
映画「3丁目の夕日」のロケ現場
尼崎市立文化財収蔵庫(旧尼崎市立高等女学校舎)のこの部屋で音楽室のロケが行われたそうです。
廊下も雰囲気がありました。
この後、寺町から貴布祢公園に向かいます。
中央図書館の横を歩きます。
寺町(てらまち)
寺町は元和3年(1617)に戸田氏鉄が現在の北城内・南城内に尼崎城築城を命ぜられ、それにともない城下町形成の一環として寺院ばかりを集めて作った町で、城地に当たるために移転した本興寺には同年12月付の棟札が
のこされています。寺町には城地に当たる寺院のほか、中世以来町場にあった寺院、周辺にあった寺院や藩主ゆかりの寺院などが集められ形成されました。寺町は城下町の北西隅、武家屋敷の北側に当たり、町場から分離して寺院の力を弱めるとともに、巨大な建物群である寺院を配置して城に対する防備の役割をもたす目的があったとも考えられています。江戸時代初期(1635年)の城下絵図には20か寺の寺院が確認できますが、今日に至るまでには藩主の交替に伴う移転や廃寺などがあり、現在は11か寺が軒を連ねています。街中にありながらも周囲の賑やかさをよそに、江戸時代城下町の雰囲気を唯一伝える町だそうです。
貴布祢公園
ここで、昼食休憩になりました。
昼食休憩後、貴布禰神社からJR 立花駅まで歩きました。
貴布禰神社(きふねじんじゃ)
貴布禰神社は「尼のきふねさん」で親しまれる尼崎屈指のお宮です。かつて尼崎城主のご祈願所を務め、たびたび雨乞いの神事が行われてきた市内唯一の元縣社。戦後は工都・尼崎の守護神として信仰も篤く、毎年8月に行われる夏祭りは、約8万人の参拝客で賑わうそうです。
この後、JR 立花駅まで歩きました。
ご訪問していただきありがとうございました。
「3丁目の夕日」のロケ現場
兵庫尼崎の映画(3丁目の夕日)のロケ現場、尼崎の歴史的な街並みなどを歩いてきました。
当日は晴れ、33℃。暑かったですが、滝坂の道など気持の良いウォーキングになりました。
集合場所JR 尼崎駅を出発して長洲天満神社、ユニチカ記念館、大物神社、映画のロケ現場、寺町を経由して貴布祢公園まで歩きます。
JR 尼崎駅を出発します。
直ぐに南下して長洲天満神社を経由してユニチカ記念館に向かいます。
長洲天満神社(ながすてんまじんじゃ)
学問の神として尊崇される菅原道真を祭神として、道真が太宰府に流される途中に長洲で滞在した際に贈った自画像を祀ったのが由縁と伝えられています。長洲天満神社の本殿の建立年代は、神社に残された棟札から慶長12年(1607)と判明しています。桃山時代の特色をよく示した建造物で兵庫県指定重要文化財です。また、阪神・淡路大震災で被災し保存修理工事が行われた際、屋根の野地板の補修材として再利用されていた、市内では最も古い年紀が記された絵馬を含む27点が発見されて尼崎市指定文化財になったそうです。
ユニチカ記念館(ゆにちかきねんかん)
ユニチカ記念館は明治33年(1900)に尼崎で最初の大工場である尼崎紡績会社(現在のユニチカ)の本社事務所として建設された建物で、市内に現存する最も古い洋風建築です。煉瓦造り2階建て、設計は日本人によるものと思われますが、外壁を覆う赤煉瓦はイギリスからの輸入品と伝えられています。現在は、2階を展示室として公開し、創業当初からの貴重な資料が展示されているそうです。
この後、大物神社から映画のロケ地に向かいます。
大物神社(だいもつじんじゃ)
尼崎城下町の一つで、平安時代にはすでに船舶の発着地として発達していました。大物の地名由来には諸説ありますが、平安時代に港町として栄え、西日本各地からの材木の集散地として知られるようになり、取引された巨材を意味する「大物」から、この地を大物と呼ぶようになったとの説が有力です。大物浜から源義経が兄の頼朝の追討を逃れるため船出した史実が、のちに謡曲『船弁慶』や『義経千本桜』として歌舞伎でも上演されています。また平成7年の発掘調査では中国製の白磁や青磁の椀や壷などが大量に発見されたそうです。
尼崎市立文化財収蔵庫(あまがさきいちりつぶんかざいしゅうぞうこ)
市立尼崎高校の前身である尼崎市立高等女学校の校舎として建てられた建物で、回廊型(ロの字型)の平面を採用。校舎は2期に分けて竣工され、東側約3分の1は1933年3月の竣工で、これは尼崎市立学校の校舎としては現存最古の建物。また、残り約3分の2は1938年3月の竣工。1966年に尼崎高校が上ノ島町1丁目に移転したのに伴い、北城内47に所在していた城内中学校が本地に移転し、入れ替わりに城内高校が北城内47に移転。2005年4月に城内・育英両中学校が統合して成良中学校となり本地に所在しましたが、2007年4月に西長洲町2丁目の旧育英中学校所在地に新校舎を建設するとともに移転したため、旧校舎1階部分を尼崎市立文化財収蔵庫として活用することにななったそうです。
映画「3丁目の夕日」のロケ現場
尼崎市立文化財収蔵庫(旧尼崎市立高等女学校舎)のこの部屋で音楽室のロケが行われたそうです。
廊下も雰囲気がありました。
この後、寺町から貴布祢公園に向かいます。
中央図書館の横を歩きます。
寺町(てらまち)
寺町は元和3年(1617)に戸田氏鉄が現在の北城内・南城内に尼崎城築城を命ぜられ、それにともない城下町形成の一環として寺院ばかりを集めて作った町で、城地に当たるために移転した本興寺には同年12月付の棟札が
のこされています。寺町には城地に当たる寺院のほか、中世以来町場にあった寺院、周辺にあった寺院や藩主ゆかりの寺院などが集められ形成されました。寺町は城下町の北西隅、武家屋敷の北側に当たり、町場から分離して寺院の力を弱めるとともに、巨大な建物群である寺院を配置して城に対する防備の役割をもたす目的があったとも考えられています。江戸時代初期(1635年)の城下絵図には20か寺の寺院が確認できますが、今日に至るまでには藩主の交替に伴う移転や廃寺などがあり、現在は11か寺が軒を連ねています。街中にありながらも周囲の賑やかさをよそに、江戸時代城下町の雰囲気を唯一伝える町だそうです。
貴布祢公園
ここで、昼食休憩になりました。
昼食休憩後、貴布禰神社からJR 立花駅まで歩きました。
貴布禰神社(きふねじんじゃ)
貴布禰神社は「尼のきふねさん」で親しまれる尼崎屈指のお宮です。かつて尼崎城主のご祈願所を務め、たびたび雨乞いの神事が行われてきた市内唯一の元縣社。戦後は工都・尼崎の守護神として信仰も篤く、毎年8月に行われる夏祭りは、約8万人の参拝客で賑わうそうです。
この後、JR 立花駅まで歩きました。
ご訪問していただきありがとうございました。