いにしえの都 奈良を訪ねて(奈良) [ウォーキング奈良市]
「いにしえの都 奈良を訪ねて」に参加してきました。(20170827)
春日大社
奈良の歴史的な街並みと滝坂の道(柳生街道)などを歩いてきました。
当日は晴れ、33℃。暑かったですが、滝坂の道など気持の良いウォーキングになりました。
集合場所JR 奈良駅を出発して興福寺、春日大社、若宮神社、東海自然歩道滝坂の道(柳生街道)、寝仏、夕日観音、朝日観音を経由して首切地蔵まで歩きます。
集合場所のJR 奈良駅です。
奈良駅を出発します。
建物はJR奈良駅旧駅舎、現在は奈良市総合観光案内所になっています。
三条通りを興福寺、春日大社に向かいます。
興福寺の南側を歩きます。
興福寺(こうふくじ)
南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院。南都七大寺の一つ。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されているそうです。
春日大社(かすがたいしゃ)
全国に約1000社ある春日神社の総本社。武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。ユネスコの世界文化遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録されているそうです。
かわいいですね。
若宮神社(わかみやじんじゃ)の南側で休憩した後、滝坂の道(柳生街道)を歩きます。
滝坂の道(柳生街道)(たきさかのみち(やぎゅうかいどう))
谷川沿いの道を滝坂の道と呼ばれ、江戸中期に奈良奉行によって敷かれた道は昭和の初めまで、柳生方面から奈良へ牛馬で米や薪炭などを、帰りは日用品を運んでいたそうです。
寝仏(ねぼとけ)
岩の裏側に大日如来像。上方の大きな岩に彫られた四方仏の一部が転がり落ち、仏様が寝ころんだ状態になっているのがその名の由来。室町前期のものと推定されているそうです。
夕日観音(ゆうひかんのん)
鎌倉時代に彫られて、人の背丈ほどもある西向きの仏様。夕日が当たるから「夕日観音」と呼ばれていますが、観音様でなく如来様。なお、石畳の道からそれて左側の崖を登って行くと、まず3体の地蔵菩薩像が彫られていて、そのすぐ上にも東向きに1体の石仏が彫られ、また、更に崖を西側へ廻り、直ぐ反対向きに上がると「夕日観音」だそうです。
夕日観音様は良くわかりませんでした。写真は3体の地蔵菩薩像と思います。
この後、朝日観音、首切地蔵に向かいます。
朝日観音(あさひかんのん)
観音様でなく、中央が弥勒菩薩、左右が地蔵菩薩の3体石仏。鎌倉時代の中期に彫られ、文永2年(1265年)の銘があって、鎌倉時代の石彫を代表する石仏で、この下の「夕日観音」を彫った作者と同一人物の作と思われています。早朝、東に聳える高円山(たかまどやま、標高462.9m、大文字で知られている山)の頂きからさしのぼる朝日に真っ先に照らされるので「朝日観音」と名付られているそうです。
首切地蔵(くびきりじぞう)
荒木又右右衛門がためし斬りしたと伝えられる首切り地蔵です。彫刻の手法から鎌倉時代の作と思われるそうです。
ここで、昼食休憩になりました。
昼食休憩後、春日山遊歩道、妙見宮、若宮神社、志賀直哉旧宅を経由して奈良駅まで歩きました。
春日山遊歩道を奈良駅に向かいます。
妙見宮(みょうけんぐう)
今回は春日山遊歩道の入り口に出てきました。
若宮神社(わかみやじんじゃ)の南側で休憩になりました。午前中に休憩した場所と同じところです。
志賀直哉旧宅(しがなおやきゅうたく)
白樺派の文豪「志賀直哉」が昭和4年から9年間住んだ旧居(敷地435坪、建物134坪)。現在は奈良文化女子大学のセミナーハウスになっています。志賀直哉自身が設計したとされるこの旧居は和風、洋風、中国風の様式を取り入れ当時としては、大変進歩的で合理的なものであったようです。
この後、JR 奈良駅まで歩きました。
ご訪問していただきありがとうございました。
春日大社
奈良の歴史的な街並みと滝坂の道(柳生街道)などを歩いてきました。
当日は晴れ、33℃。暑かったですが、滝坂の道など気持の良いウォーキングになりました。
集合場所JR 奈良駅を出発して興福寺、春日大社、若宮神社、東海自然歩道滝坂の道(柳生街道)、寝仏、夕日観音、朝日観音を経由して首切地蔵まで歩きます。
集合場所のJR 奈良駅です。
奈良駅を出発します。
建物はJR奈良駅旧駅舎、現在は奈良市総合観光案内所になっています。
三条通りを興福寺、春日大社に向かいます。
興福寺の南側を歩きます。
興福寺(こうふくじ)
南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院。南都七大寺の一つ。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されているそうです。
春日大社(かすがたいしゃ)
全国に約1000社ある春日神社の総本社。武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。ユネスコの世界文化遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録されているそうです。
かわいいですね。
若宮神社(わかみやじんじゃ)の南側で休憩した後、滝坂の道(柳生街道)を歩きます。
滝坂の道(柳生街道)(たきさかのみち(やぎゅうかいどう))
谷川沿いの道を滝坂の道と呼ばれ、江戸中期に奈良奉行によって敷かれた道は昭和の初めまで、柳生方面から奈良へ牛馬で米や薪炭などを、帰りは日用品を運んでいたそうです。
寝仏(ねぼとけ)
岩の裏側に大日如来像。上方の大きな岩に彫られた四方仏の一部が転がり落ち、仏様が寝ころんだ状態になっているのがその名の由来。室町前期のものと推定されているそうです。
夕日観音(ゆうひかんのん)
鎌倉時代に彫られて、人の背丈ほどもある西向きの仏様。夕日が当たるから「夕日観音」と呼ばれていますが、観音様でなく如来様。なお、石畳の道からそれて左側の崖を登って行くと、まず3体の地蔵菩薩像が彫られていて、そのすぐ上にも東向きに1体の石仏が彫られ、また、更に崖を西側へ廻り、直ぐ反対向きに上がると「夕日観音」だそうです。
夕日観音様は良くわかりませんでした。写真は3体の地蔵菩薩像と思います。
この後、朝日観音、首切地蔵に向かいます。
朝日観音(あさひかんのん)
観音様でなく、中央が弥勒菩薩、左右が地蔵菩薩の3体石仏。鎌倉時代の中期に彫られ、文永2年(1265年)の銘があって、鎌倉時代の石彫を代表する石仏で、この下の「夕日観音」を彫った作者と同一人物の作と思われています。早朝、東に聳える高円山(たかまどやま、標高462.9m、大文字で知られている山)の頂きからさしのぼる朝日に真っ先に照らされるので「朝日観音」と名付られているそうです。
首切地蔵(くびきりじぞう)
荒木又右右衛門がためし斬りしたと伝えられる首切り地蔵です。彫刻の手法から鎌倉時代の作と思われるそうです。
ここで、昼食休憩になりました。
昼食休憩後、春日山遊歩道、妙見宮、若宮神社、志賀直哉旧宅を経由して奈良駅まで歩きました。
春日山遊歩道を奈良駅に向かいます。
妙見宮(みょうけんぐう)
今回は春日山遊歩道の入り口に出てきました。
若宮神社(わかみやじんじゃ)の南側で休憩になりました。午前中に休憩した場所と同じところです。
志賀直哉旧宅(しがなおやきゅうたく)
白樺派の文豪「志賀直哉」が昭和4年から9年間住んだ旧居(敷地435坪、建物134坪)。現在は奈良文化女子大学のセミナーハウスになっています。志賀直哉自身が設計したとされるこの旧居は和風、洋風、中国風の様式を取り入れ当時としては、大変進歩的で合理的なものであったようです。
この後、JR 奈良駅まで歩きました。
ご訪問していただきありがとうございました。