野崎観音と水郷の里・御領へ(大阪) [ウォーキング大阪府北中部]
「野崎観音と水郷の里・御領へ」に参加してきました。(20170723)
野崎観音
大阪大東市の野崎観音、水郷の里など歴史的な街並みを散策してきました。
当日は曇り、32.3℃、暑かったですが気持の良いウォーキングになりました。
集合場所JR住道駅近くの公園から泉公園、大阪桐蔭、メノコ橋の欄干石、野崎観音を経由して深北緑地まで歩きます。
JR 住道駅近くの公園を出発します。
大阪桐蔭
有名な進学校、高校野球、吹奏楽など全国レベルで活躍しているそうです。
東高野街道を歩きます。
メノコ橋の欄干石
野崎東部配水場東側の道路端に、「明治三十七年八月築架」「メノコ橋」の銘がある石橋の欄干だけが不自然な形で残っている。これは東高野街道の野崎と寺川の境近くに、メノコ橋が架かっていた名残である。橋は、昭和50年から始まった配水場建設工事と共に井路がなくなってが欄干だけが残された。 メノコ橋は、地名のメノコによる。またこの橋にまつわる話として、次のような話が伝わる。「この道は古くからあり、京と高野山を結び、老若男女貧富を問わず旅人が、高野山へ、京へと通った道である。その中に弘法大師もおられ、大師は修業の地を求めて当地方に滞在された、その時、十日程夜この橋の欄干を枕にやすまれた。そこでネノコ橋と呼ぶようになった。しかし、いつの頃からか、メノコ橋になった」そうです。
野崎観音に着きました。
階段を上がります。
野崎観音(のざきかんのん)
野崎観音は、正式名「福聚山 慈眼寺」という曹洞宗の寺院で、年配の方々には昭和初期に大ヒットした東海林太郎の「野崎小唄」の舞台となったことで親しまれています。現在でも、無縁経法要が行われる5月1日から1週間は「ようか日」と呼ばれ、参道にはたくさんの屋台が並び、多くの人々で賑わっています。境内には本堂、鐘つき堂のほか、江口の君をまつった江口の君堂、お染・久松の塚などがあるそうです。
本堂は冒頭の写真です。
見晴らし台からきれいな景色が見えました。
野崎小唄の歌碑
お染・久松の塚
境内に番傘わかくさ川柳会碑がありました。
野崎まいり公園で休憩になりました。
深北公園に向かいます。
深北緑地(ふかきたりょくち)
大阪府営の大東市、寝屋川市に位置する緑地公園。面積約30.6ha。広大な敷地の中に、野球 場やテニスコートなどのスポーツ施設や恐竜公園、ロケット広場などの子どもたちが 元気に遊べる遊具などがあるそうです。
ここで、昼食休憩になりました。
昼食休憩後、三箇菅原神社、水郷の里・御領、南郷公園、東諸福公園を経由してJR 鴻池新田駅まで歩きました。
三箇菅原神社(さんがすがわらじんじゃ)
住道地区の氏神で、1679年(延宝七年)の「三箇村検地帳」には既に名があり、当時は「氏神天満宮」と称されていた。社地内には稲荷社も鎮座し、天神様とともに五穀豊穣の神様である。西の隣接地には曹洞宗宇治興聖寺末・水月院(現存せず)があり、江戸時代までの神仏混合の面影を残していた。社の宝として神刀が奉られており、これは宝永年間の氏子達が神威の高揚を願って奉献したものである。なお、この地は「三箇城址」と書かれた碑が立つように、飯盛城の支城であった三箇城があったとされる候補地のひとつで、碑は1919年(大正8年)に府によって建立されたそうです。
水郷の里・御領(すいごうのさと・ごりょう)
旧御陵村は河内地方を代表する水郷地帯。低湿地のため古くから水路が縦横に走り、運搬手段として、三枚板と呼ばれた農業用の田舟が活躍していた。水路沿いには、物資を直接搬入できるように、段倉と呼ばれる、一段高いところ設けられた農作物や生活用具を収容するために設けられています。いまは当時の倉がそのまま残っている。御領橋から眺めると水郷地帯であった往時を浮かべることができる。地名の由来は、朝廷の供御領、または室町幕府の御料所からだそうです。
南郷公園
ここで少し休憩になりました。
諸福天満宮(もろふくてんまんぐう)
諸福天満宮は、1644年(寛永20年)にこの地に勧請され、菅原道真を祭神としている。平成の修復で、神額の菅原神社と書かれていた板をめくると、天満宮の字が現れた。1752年(宝暦2年)の作成になる菅原道真画像の掛軸を入れた箱の表にも「天満宮」の銘があることなどから、修復を機に本来の天満宮を名乗るほうがよいのではという氏子の方々の意見で、1999年(平成11年)1月1日をもって、諸福天満宮に改称した。大東市の文化財に指定されている本殿内の社は、円柱・破風・木鼻等に見られる彫刻は、江戸初期(檜皮葺一間社流造り)の桃山建築様式を残す。平成の修復で元の鮮やかな色彩が蘇った。1年のうち最も賑やかなのが10月の秋の大祭。村をあげての祭りで、露店が並び、大小の地車(だんじり)が曳かれる。また、境内には歯痛によく効くといわれる歯神さんが祀られているそうです。
この後、JR 鴻池新田駅まで歩きました。
ご訪問していただきありがとうございました。
野崎観音
大阪大東市の野崎観音、水郷の里など歴史的な街並みを散策してきました。
当日は曇り、32.3℃、暑かったですが気持の良いウォーキングになりました。
集合場所JR住道駅近くの公園から泉公園、大阪桐蔭、メノコ橋の欄干石、野崎観音を経由して深北緑地まで歩きます。
JR 住道駅近くの公園を出発します。
大阪桐蔭
有名な進学校、高校野球、吹奏楽など全国レベルで活躍しているそうです。
東高野街道を歩きます。
メノコ橋の欄干石
野崎東部配水場東側の道路端に、「明治三十七年八月築架」「メノコ橋」の銘がある石橋の欄干だけが不自然な形で残っている。これは東高野街道の野崎と寺川の境近くに、メノコ橋が架かっていた名残である。橋は、昭和50年から始まった配水場建設工事と共に井路がなくなってが欄干だけが残された。 メノコ橋は、地名のメノコによる。またこの橋にまつわる話として、次のような話が伝わる。「この道は古くからあり、京と高野山を結び、老若男女貧富を問わず旅人が、高野山へ、京へと通った道である。その中に弘法大師もおられ、大師は修業の地を求めて当地方に滞在された、その時、十日程夜この橋の欄干を枕にやすまれた。そこでネノコ橋と呼ぶようになった。しかし、いつの頃からか、メノコ橋になった」そうです。
野崎観音に着きました。
階段を上がります。
野崎観音(のざきかんのん)
野崎観音は、正式名「福聚山 慈眼寺」という曹洞宗の寺院で、年配の方々には昭和初期に大ヒットした東海林太郎の「野崎小唄」の舞台となったことで親しまれています。現在でも、無縁経法要が行われる5月1日から1週間は「ようか日」と呼ばれ、参道にはたくさんの屋台が並び、多くの人々で賑わっています。境内には本堂、鐘つき堂のほか、江口の君をまつった江口の君堂、お染・久松の塚などがあるそうです。
本堂は冒頭の写真です。
見晴らし台からきれいな景色が見えました。
野崎小唄の歌碑
お染・久松の塚
境内に番傘わかくさ川柳会碑がありました。
野崎まいり公園で休憩になりました。
深北公園に向かいます。
深北緑地(ふかきたりょくち)
大阪府営の大東市、寝屋川市に位置する緑地公園。面積約30.6ha。広大な敷地の中に、野球 場やテニスコートなどのスポーツ施設や恐竜公園、ロケット広場などの子どもたちが 元気に遊べる遊具などがあるそうです。
ここで、昼食休憩になりました。
昼食休憩後、三箇菅原神社、水郷の里・御領、南郷公園、東諸福公園を経由してJR 鴻池新田駅まで歩きました。
三箇菅原神社(さんがすがわらじんじゃ)
住道地区の氏神で、1679年(延宝七年)の「三箇村検地帳」には既に名があり、当時は「氏神天満宮」と称されていた。社地内には稲荷社も鎮座し、天神様とともに五穀豊穣の神様である。西の隣接地には曹洞宗宇治興聖寺末・水月院(現存せず)があり、江戸時代までの神仏混合の面影を残していた。社の宝として神刀が奉られており、これは宝永年間の氏子達が神威の高揚を願って奉献したものである。なお、この地は「三箇城址」と書かれた碑が立つように、飯盛城の支城であった三箇城があったとされる候補地のひとつで、碑は1919年(大正8年)に府によって建立されたそうです。
水郷の里・御領(すいごうのさと・ごりょう)
旧御陵村は河内地方を代表する水郷地帯。低湿地のため古くから水路が縦横に走り、運搬手段として、三枚板と呼ばれた農業用の田舟が活躍していた。水路沿いには、物資を直接搬入できるように、段倉と呼ばれる、一段高いところ設けられた農作物や生活用具を収容するために設けられています。いまは当時の倉がそのまま残っている。御領橋から眺めると水郷地帯であった往時を浮かべることができる。地名の由来は、朝廷の供御領、または室町幕府の御料所からだそうです。
南郷公園
ここで少し休憩になりました。
諸福天満宮(もろふくてんまんぐう)
諸福天満宮は、1644年(寛永20年)にこの地に勧請され、菅原道真を祭神としている。平成の修復で、神額の菅原神社と書かれていた板をめくると、天満宮の字が現れた。1752年(宝暦2年)の作成になる菅原道真画像の掛軸を入れた箱の表にも「天満宮」の銘があることなどから、修復を機に本来の天満宮を名乗るほうがよいのではという氏子の方々の意見で、1999年(平成11年)1月1日をもって、諸福天満宮に改称した。大東市の文化財に指定されている本殿内の社は、円柱・破風・木鼻等に見られる彫刻は、江戸初期(檜皮葺一間社流造り)の桃山建築様式を残す。平成の修復で元の鮮やかな色彩が蘇った。1年のうち最も賑やかなのが10月の秋の大祭。村をあげての祭りで、露店が並び、大小の地車(だんじり)が曳かれる。また、境内には歯痛によく効くといわれる歯神さんが祀られているそうです。
この後、JR 鴻池新田駅まで歩きました。
ご訪問していただきありがとうございました。