「京街道をあるく 3回目」(京都、大阪) [ウォーキング京街道_熊野街道]
「京街道をあるく 3回目」に参加してきました。(20170328)
石清水八幡宮
京街道(きょうかいどう)
京街道はの京橋(後に高麗橋)から淀川左岸に沿って進み、淀を経てに向かう街道。文禄3年(1594年)に伏見城築造に着手した豊臣秀吉が1596年(文禄5年)2月に毛利一族に命じて淀川左岸に築かせた「文禄堤」が起源だそうです。「京街道をあるく」は京都から大阪まで6回に分けて歩きます。
「西国街道をあるく」京都駅から大阪天満宮までのウォーキングの第3回目。今回は淀駅から樟葉駅まで歩きました。
当日は晴れ、最高気温15.2℃。気持ち良いウォーキングになりました。
集合場所淀駅近くの與杼神社を出発して淀緑地、凉森神社、さくらであい館、走井餅を経由して石清水八幡宮まで歩きます。
與杼神社(よど じんじゃ)
淀城跡公園内にある與杼神社(よど じんじゃ)は、与杼神社とも記される。また、淀姫(よどひめ)社、旧社地に因み水垂(みずたれ)社、大荒木(おおあらき)神社ともいわれた。境内は4437㎡あり、淀城跡公園と共に風致地区に指定されている。周辺の淀、納所(のうしょ)、水垂、大下津(おおしもず)の産土神として祀られてきた。 祭神は、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、高皇産霊神(たかみむすひのかみ)、速秋津姫命(はやあきつひめのみこと)の三柱だそうです。
淀城跡公園(よどじょうあとこうえん)
淀城跡公園は、淀駅から歩いて5分。淀城の跡を整備して作られた公園ですが、この淀城は、淀の方が秀吉から賜った淀城ではなく、江戸時代になってから、二代将軍秀忠が松平定綱に築城を命じて造らせたもの。淀の方の淀城は、少し離れた納所にあって、妙教寺という寺に淀古城の石碑があるだけのようです。
淀緑地(よどりょくち)
淀水路沿いにある淀緑地。2本の「河津桜」の苗木が平成14(2002)年に植樹されて以降、徐々に増え続け、現在は淀一帯で約200本の桜の名所となっているそうです。
凉森神社(すずしのもりじんじゃ)
淀美豆町(よどみずちょう)の産土神。祭神は、白鬚大神(しらひげおおかみ、猿田彦神)、神速須佐之男命(かんはやすさのおのみこと )、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)、事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)、菅原道眞(すがわらのみちざね)。相殿に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、豊受大神(とようけのおおかみ)、天宇受賣命(あめのうずめ)、第16代・仁徳天皇(にんとくてんのう)を祀るそうです。
この後、さくらであい館に向かいます。
さくらであい館(さくらであいかん)
木津川、宇治川、桂川が出会う三川合流地点にほど近い桜の名所、背割堤に新しいランドマークとして3日前(平成29年3月25日)にオープンしたそうです。
背割堤(せわりてい)
桜で有名な所。当日、桜はまだ咲いていませんでした。
ネットから満開の写真を引用させていただきました。
休憩後、石清水八幡宮に向かいます。
走井餅(はしりいもち)
石清水八幡宮の門前にある走井(はしりい)餅屋さん。江戸時代中期の明和元年(1764年)大津走井の名水で餡餅をつくり、八幡で引き継がれているそうです。昭和天皇へ献上された由緒深いお餅屋さんだそうです。
大好きな走井餅。買ってきました。
石清水八幡宮の横にある雰囲気の良い橋でした。
石清水八幡宮への登りです。少しきつかったです。
石清水八幡宮展望台に着きました。
ここで昼食休憩になりました。
昼食休憩後、石清水八幡宮、樟葉台場跡、交野天神社を経由して樟葉駅まで歩きました。
石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)
男山(標高143m)山上に鎮座する神社で伊勢神宮(三重)・賀茂神社(京都)とともに日本三社の一社、また、宇佐神宮(大分)・鶴岡八幡宮(神奈川)と共に日本三大八幡宮の一社だそうです。9月15日に行われる石清水祭は葵祭(京都)、春日祭(奈良)と共に三大勅祭の一つに数えられているそうです。
エジソン記念碑がありました。
エジソン白熱電球の実用化成功に最も大きな役割を果たした記念だそうです。
ここから、一気に山を下り、樟葉台場跡に向かいます。
樟葉台場跡(くずはだいばあと)
樟葉台場(砲台)跡は、江戸時代に徳川幕府が、大坂湾から京都に侵入する外国船に備えるという名目で、淀川左岸の楠葉と右岸の高浜に砲台を築きました。また、台場は長州藩士など尊王攘夷派の入京を阻止する機能もあったそうです。
交野天神社に向かいます。
交野天神社(かたのてんじんしゃ)
桓武(かんむ)天皇は、延暦6年(787)、長岡京の南郊の地を選び、郊祀壇(こうしだん)を設けて、父光仁(こうにん)天皇を天神(あまつかみ)として祀った。これは、中国の皇帝が毎年冬至に都の南に天壇(てんだん)を設けて、天帝(てんてい)を祀る例にならったもので、当社の起源はこの郊祀壇にあるといわれている。主祭神は光仁天皇で、天児屋根命(あめのこやねのみこと)・菅原道真(すがわらのみちざね)が合祀されているそうです。
この後、樟葉駅まで歩きました。
樟葉駅近くで今回初めて京街道の道標を見ました。
樟葉駅
帰ってから、走井餅を頂きました。
美味しかったです。
前々回、前回はNiceボタンをクローズしていますが、合わせてみて頂けると嬉しいです。
ご訪問していただきありがとうございました。
石清水八幡宮
京街道(きょうかいどう)
京街道はの京橋(後に高麗橋)から淀川左岸に沿って進み、淀を経てに向かう街道。文禄3年(1594年)に伏見城築造に着手した豊臣秀吉が1596年(文禄5年)2月に毛利一族に命じて淀川左岸に築かせた「文禄堤」が起源だそうです。「京街道をあるく」は京都から大阪まで6回に分けて歩きます。
「西国街道をあるく」京都駅から大阪天満宮までのウォーキングの第3回目。今回は淀駅から樟葉駅まで歩きました。
当日は晴れ、最高気温15.2℃。気持ち良いウォーキングになりました。
集合場所淀駅近くの與杼神社を出発して淀緑地、凉森神社、さくらであい館、走井餅を経由して石清水八幡宮まで歩きます。
與杼神社(よど じんじゃ)
淀城跡公園内にある與杼神社(よど じんじゃ)は、与杼神社とも記される。また、淀姫(よどひめ)社、旧社地に因み水垂(みずたれ)社、大荒木(おおあらき)神社ともいわれた。境内は4437㎡あり、淀城跡公園と共に風致地区に指定されている。周辺の淀、納所(のうしょ)、水垂、大下津(おおしもず)の産土神として祀られてきた。 祭神は、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、高皇産霊神(たかみむすひのかみ)、速秋津姫命(はやあきつひめのみこと)の三柱だそうです。
淀城跡公園(よどじょうあとこうえん)
淀城跡公園は、淀駅から歩いて5分。淀城の跡を整備して作られた公園ですが、この淀城は、淀の方が秀吉から賜った淀城ではなく、江戸時代になってから、二代将軍秀忠が松平定綱に築城を命じて造らせたもの。淀の方の淀城は、少し離れた納所にあって、妙教寺という寺に淀古城の石碑があるだけのようです。
淀緑地(よどりょくち)
淀水路沿いにある淀緑地。2本の「河津桜」の苗木が平成14(2002)年に植樹されて以降、徐々に増え続け、現在は淀一帯で約200本の桜の名所となっているそうです。
凉森神社(すずしのもりじんじゃ)
淀美豆町(よどみずちょう)の産土神。祭神は、白鬚大神(しらひげおおかみ、猿田彦神)、神速須佐之男命(かんはやすさのおのみこと )、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)、事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)、菅原道眞(すがわらのみちざね)。相殿に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、豊受大神(とようけのおおかみ)、天宇受賣命(あめのうずめ)、第16代・仁徳天皇(にんとくてんのう)を祀るそうです。
この後、さくらであい館に向かいます。
さくらであい館(さくらであいかん)
木津川、宇治川、桂川が出会う三川合流地点にほど近い桜の名所、背割堤に新しいランドマークとして3日前(平成29年3月25日)にオープンしたそうです。
背割堤(せわりてい)
桜で有名な所。当日、桜はまだ咲いていませんでした。
ネットから満開の写真を引用させていただきました。
休憩後、石清水八幡宮に向かいます。
走井餅(はしりいもち)
石清水八幡宮の門前にある走井(はしりい)餅屋さん。江戸時代中期の明和元年(1764年)大津走井の名水で餡餅をつくり、八幡で引き継がれているそうです。昭和天皇へ献上された由緒深いお餅屋さんだそうです。
大好きな走井餅。買ってきました。
石清水八幡宮の横にある雰囲気の良い橋でした。
石清水八幡宮への登りです。少しきつかったです。
石清水八幡宮展望台に着きました。
ここで昼食休憩になりました。
昼食休憩後、石清水八幡宮、樟葉台場跡、交野天神社を経由して樟葉駅まで歩きました。
石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)
男山(標高143m)山上に鎮座する神社で伊勢神宮(三重)・賀茂神社(京都)とともに日本三社の一社、また、宇佐神宮(大分)・鶴岡八幡宮(神奈川)と共に日本三大八幡宮の一社だそうです。9月15日に行われる石清水祭は葵祭(京都)、春日祭(奈良)と共に三大勅祭の一つに数えられているそうです。
エジソン記念碑がありました。
エジソン白熱電球の実用化成功に最も大きな役割を果たした記念だそうです。
ここから、一気に山を下り、樟葉台場跡に向かいます。
樟葉台場跡(くずはだいばあと)
樟葉台場(砲台)跡は、江戸時代に徳川幕府が、大坂湾から京都に侵入する外国船に備えるという名目で、淀川左岸の楠葉と右岸の高浜に砲台を築きました。また、台場は長州藩士など尊王攘夷派の入京を阻止する機能もあったそうです。
交野天神社に向かいます。
交野天神社(かたのてんじんしゃ)
桓武(かんむ)天皇は、延暦6年(787)、長岡京の南郊の地を選び、郊祀壇(こうしだん)を設けて、父光仁(こうにん)天皇を天神(あまつかみ)として祀った。これは、中国の皇帝が毎年冬至に都の南に天壇(てんだん)を設けて、天帝(てんてい)を祀る例にならったもので、当社の起源はこの郊祀壇にあるといわれている。主祭神は光仁天皇で、天児屋根命(あめのこやねのみこと)・菅原道真(すがわらのみちざね)が合祀されているそうです。
この後、樟葉駅まで歩きました。
樟葉駅近くで今回初めて京街道の道標を見ました。
樟葉駅
帰ってから、走井餅を頂きました。
美味しかったです。
前々回、前回はNiceボタンをクローズしていますが、合わせてみて頂けると嬉しいです。
ご訪問していただきありがとうございました。