小倉百人一首のゆかりの地を訪ねて_その1(京都) [ウォーキング京都府]
「小倉百人一首のゆかりの地を訪ねて_その1」に参加してきました。(20170119)
小倉山荘に向かう途中
京都の小倉百人一首のゆかりの地の一部を訪ねてきました。
当日は晴れ、曇り、最高気温10℃、少し寒かったですが気持ち良いウォーキングになりました。
西山公園付近では雪が少し残っていました。
集合場所JR向日町駅近くの公園を出発して福田寺、泉福寺、長岡京跡、向日神社、小倉山荘、光明寺を経由して西山公園まで歩きます。
福田寺(ふくでんじ)
安産と雨乞い祈願のお寺。西山浄土宗の寺で、山号は迎錫山福田寺。今から1300年前の養老2年(718)行基菩薩の開基で福田寺縁起書には、元正天皇(718)代に行基菩薩が夢のお告げによりこの地で「地蔵釈迦」のニ尊を刻み、精舎を建立し「福田寺」と号したという。創建当時は八町四方に七堂伽藍を有していた。
歴代住職のうち、平安時代末期には百人一首の詠み人で有名な歌人、俊恵法師がいる。俊恵法師は平安時代の歌人として、数多くの和歌を残している。歌の同好の友を集め文学結社「歌林苑」を形成、自らそのリーダーとして月例会などを催したという。歌友には、有名な源三位頼政、鴨長明などの名もあるそうです。
俊恵法師の歌碑
泉福寺(せんぷくじ)
創建、変遷の詳細は不明。平安時代、794年、第50代・桓武天皇が長岡京より平安京へ遷幸の折りに、雷雨に遭遇した。松の木蔭に雨宿りし、観音経を読誦したところ雷雨がおさまる。その松で不空羂索観世音菩薩を刻み、一宇を建て奉安したことに始まるといわれているそうです。
長岡京跡(ながおかきょうあと)
長岡京は、桓武天皇(かんむてんのう)によって造営された都で、784年(延暦3年)11月11日に奈良の平城京から遷都(せんと)されました。都の範囲は、現在の長岡京市、向日市、大山崎町および京都市の三市一町にまたがっており、東西4.3キロメートル、南北5.2キロメートルにおよぶそうです。
向日神社(むこうじんじゃ)
「明神(みょうじん)さん」の名で親しまれている養老2年(西暦718年)創建の古社。應永25年(西暦1418年)に建造された本殿は、室町時代の三間社流造(さんげんしゃながれづくり)という建築様式で国の重要文化財に指定されているそうです。
元稲荷古墳(もといなりこふん)
向日神社北側の勝山公園内にあり、古墳時代前期(4世紀初頭)の全長約94mの前方後方墳。出土品には、刀剣類、斧、土師器の壺があり、また、埴輪の原型となる特殊壺形土器や特殊円筒埴輪も前方部から出土。周辺には、弥生時代の高地性集落と考えられる北山遺跡があるそうです。
小倉山荘
京都せんべい おかき専門店の本店(竹生の郷)
店の前に紀貫之の歌碑がありました。
光明寺に向かいます。
光明寺(こうみょうじ)
西山浄土宗の総本山光明寺は長岡京市西山のふもと粟生広谷。宗祖円光大師法然上人が御歳43歳の時、日本で最初に念仏の産声を上げられた立教開宗の地だそうです。見事な紅葉も有名です。
西山公園
西山公園で昼食休憩になりました。
昼食休憩後、長岡天神を経由してJR長岡京駅まで歩きました。
少し雪が残っていました。
長岡天満宮(ながおかてんまんぐう)
ご祭神は学問の神様として有名な菅原道真公。道真公が太宰府へ左遷される途中、かつて在原業平らと共に詩歌管弦を楽しんだこの地に立ち寄り、都を振り返って名残を惜しんだ事から「見返り天神」とも呼ばれていて、太宰府にお供した3人が別れ際に戴いた道真公自作の木像をご神体として祀ったのが長岡天満宮のはじまりと云われているそうです。
菅公御歌の歌碑がありました。
この後、長岡京駅まで歩きました。
ご訪問していただきありがとうございました。
小倉山荘に向かう途中
京都の小倉百人一首のゆかりの地の一部を訪ねてきました。
当日は晴れ、曇り、最高気温10℃、少し寒かったですが気持ち良いウォーキングになりました。
西山公園付近では雪が少し残っていました。
集合場所JR向日町駅近くの公園を出発して福田寺、泉福寺、長岡京跡、向日神社、小倉山荘、光明寺を経由して西山公園まで歩きます。
福田寺(ふくでんじ)
安産と雨乞い祈願のお寺。西山浄土宗の寺で、山号は迎錫山福田寺。今から1300年前の養老2年(718)行基菩薩の開基で福田寺縁起書には、元正天皇(718)代に行基菩薩が夢のお告げによりこの地で「地蔵釈迦」のニ尊を刻み、精舎を建立し「福田寺」と号したという。創建当時は八町四方に七堂伽藍を有していた。
歴代住職のうち、平安時代末期には百人一首の詠み人で有名な歌人、俊恵法師がいる。俊恵法師は平安時代の歌人として、数多くの和歌を残している。歌の同好の友を集め文学結社「歌林苑」を形成、自らそのリーダーとして月例会などを催したという。歌友には、有名な源三位頼政、鴨長明などの名もあるそうです。
俊恵法師の歌碑
泉福寺(せんぷくじ)
創建、変遷の詳細は不明。平安時代、794年、第50代・桓武天皇が長岡京より平安京へ遷幸の折りに、雷雨に遭遇した。松の木蔭に雨宿りし、観音経を読誦したところ雷雨がおさまる。その松で不空羂索観世音菩薩を刻み、一宇を建て奉安したことに始まるといわれているそうです。
長岡京跡(ながおかきょうあと)
長岡京は、桓武天皇(かんむてんのう)によって造営された都で、784年(延暦3年)11月11日に奈良の平城京から遷都(せんと)されました。都の範囲は、現在の長岡京市、向日市、大山崎町および京都市の三市一町にまたがっており、東西4.3キロメートル、南北5.2キロメートルにおよぶそうです。
向日神社(むこうじんじゃ)
「明神(みょうじん)さん」の名で親しまれている養老2年(西暦718年)創建の古社。應永25年(西暦1418年)に建造された本殿は、室町時代の三間社流造(さんげんしゃながれづくり)という建築様式で国の重要文化財に指定されているそうです。
元稲荷古墳(もといなりこふん)
向日神社北側の勝山公園内にあり、古墳時代前期(4世紀初頭)の全長約94mの前方後方墳。出土品には、刀剣類、斧、土師器の壺があり、また、埴輪の原型となる特殊壺形土器や特殊円筒埴輪も前方部から出土。周辺には、弥生時代の高地性集落と考えられる北山遺跡があるそうです。
小倉山荘
京都せんべい おかき専門店の本店(竹生の郷)
店の前に紀貫之の歌碑がありました。
光明寺に向かいます。
光明寺(こうみょうじ)
西山浄土宗の総本山光明寺は長岡京市西山のふもと粟生広谷。宗祖円光大師法然上人が御歳43歳の時、日本で最初に念仏の産声を上げられた立教開宗の地だそうです。見事な紅葉も有名です。
西山公園
西山公園で昼食休憩になりました。
昼食休憩後、長岡天神を経由してJR長岡京駅まで歩きました。
少し雪が残っていました。
長岡天満宮(ながおかてんまんぐう)
ご祭神は学問の神様として有名な菅原道真公。道真公が太宰府へ左遷される途中、かつて在原業平らと共に詩歌管弦を楽しんだこの地に立ち寄り、都を振り返って名残を惜しんだ事から「見返り天神」とも呼ばれていて、太宰府にお供した3人が別れ際に戴いた道真公自作の木像をご神体として祀ったのが長岡天満宮のはじまりと云われているそうです。
菅公御歌の歌碑がありました。
この後、長岡京駅まで歩きました。
ご訪問していただきありがとうございました。