京の七口シリーズ①五条口(京都) [ウォーキング京都市]
「京の七口シリーズ①五条口」に参加してきました。(20161225)
昨年参加したウォーキングの記事になります。
伏見桃山城
京都の五条口から伏水街道の橋跡、伏見稲荷大社、藤森神社、伏見桃山城など歴史ある街並みを訪れてきました。
当日は晴れ、気温12度、気持良いウォーキングになりました。
京の七口(きょうのななくち)
京の七口は室町時代から江戸時代にかけて、京都と諸国を結ぶために設けられた主要な街道の出入り口の総称。出入口の数や場所は時代によって変化し定まっていないそうです。
代表的な出入口は鞍馬口、大原口、荒神口、粟田口(三条口)、伏見口(五条口)、竹田口、鳥羽口、丹波口、長坂口(清蔵口)になるそうです。其々の口には御土居の出入口が設けられているそうです。
御土居(おどい)
御土居は天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が,長い戦乱で荒れ果てた京都の都市 改造の一環として外敵の来襲に備える防塁と,鴨川の氾濫から市街を守る堤防として, 天正19年(1591)に多くの経費と労力を費やして築いた土塁だそうです。
五条口(ごじょうぐち)
五条口(伏見口)は京の七口のひとつ。五条大橋の西詰辺りに御土居があったそうです。
伏見街道(ふしみかいどう)
京(京都)の五条と伏見とを結ぶ街道。豊臣秀吉が開いたともいわれるそうです。
集合場所JR京都駅を出発して五条口、伏水街道、伏見稲荷大社を経由して藤の森広場まで歩きます。
集合場所のJR京都駅を出発します。
京都タワー
東本願寺の南側を歩きます。
五条口の御土井があった五条公園で休憩になりました。
五条公園の横の五条大橋大橋から見た鴨川の眺めです。
豊国神社
京都国立博物館
正面
平成知新館(へいせいちしんかん)
2014年9月13日(土)開館。設計は、ニューヨーク近代美術館 新館、東京国立博物館 法隆寺宝物館、豊田市美術館などを手がけた世界的建築家、谷口吉生氏だそうです。写真は入り口付近です。
機会があれば展示会などを見に行きたいと思っています。
三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)
南北に120メートル。内陣の柱と柱の間数が33あり、木造建築では世界でも類稀な長さ。1164年(長寛2)後白河上皇が発願し、平清盛が寄進して創建。堂内には、中尊千手観音坐像(国宝)を中心に千体の千手観音立像、観音二十八部衆像が並ぶそうです。「通し矢」で有名です。
伏見街道に残る第一橋跡です。
当時は「伏見」ではなく「伏水」となっていたようです。
瀧尾神社(たきおじんじゃ)
創建年代は不詳。「源平盛衰記」にその名が見える。天正14(1586)年10月に豊臣秀吉が方広寺大仏殿を建立したのに伴い、現在地に遷座。現在の本殿、拝殿、手水舎、絵馬舎は、下村家(現在の大丸百貨店)の手により、は江戸後期の天保10(1839)年〜11年にかけて造立されたそうです。
伏見街道に残る第二橋跡です。
伏見街道に残る第三橋跡です。
伏見街道を歩きます。
伏見稲荷大社につきました。
伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)
伏見稲荷大社は式内社(名神大社)、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁に属さない単立神社。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域とする。全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本社。初詣では近畿地方の社寺で最多の参拝者を集める(日本国内第4位〔2010年〕)そうです。
3年連続で外国人に人気の観光スポット第一になったそうです。
JR最古のランプ小屋
1879年(明治12)の旧東海道線開通当時、汽車が照明用に使ったランプと灯油の小屋。旧国鉄最古の建物で、準鉄道記念物。約8平方メートルあり、当時の時刻表、運賃表、汽車の尾灯などを展示されているそうです。
藤の森広場に向かいます。
藤の森広場で昼食休憩になりました。
昼食休憩後は藤森神社、伏見桃山城、桃山善光寺を経由してJR桃山駅まで歩きます。
伏見街道に残る第四橋跡です。
藤森神社(ふじのもりじんじゃ)
藤森神社は平安遷都以前から祀られている古い社、駈馬、紫陽花でも有名だそうです。
伏見桃山城(ふしみももやまじょう)
伏見桃山城は天正20年(1592)豊臣秀吉が隠居所として築城し、徳川家康が再興した城。しかし、二条城の修築によって存在意義が薄れたこともあり、元和9年(1623)廃城となり、天守や櫓などは全国の城へ分与されたそうです。
跡地に、昭和39年に伏見桃山城キャッスルランドが開園した際、天守閣が作られたが、歴史上の伏見城とは全く別のものだそうです。
天守閣は冒頭の写真です
桃山善光寺(ももやまぜんこうじ)
桃山善光寺は京都府立桃山高校の南にある天台宗の寺院。桃山善光寺の本堂は醍醐寺の塔頭の建物を移築したそうです。
今回記事はNiceボタンをクローズさせていただきました。
ご訪問していただきありがとうございました。
昨年参加したウォーキングの記事になります。
伏見桃山城
京都の五条口から伏水街道の橋跡、伏見稲荷大社、藤森神社、伏見桃山城など歴史ある街並みを訪れてきました。
当日は晴れ、気温12度、気持良いウォーキングになりました。
京の七口(きょうのななくち)
京の七口は室町時代から江戸時代にかけて、京都と諸国を結ぶために設けられた主要な街道の出入り口の総称。出入口の数や場所は時代によって変化し定まっていないそうです。
代表的な出入口は鞍馬口、大原口、荒神口、粟田口(三条口)、伏見口(五条口)、竹田口、鳥羽口、丹波口、長坂口(清蔵口)になるそうです。其々の口には御土居の出入口が設けられているそうです。
御土居(おどい)
御土居は天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が,長い戦乱で荒れ果てた京都の都市 改造の一環として外敵の来襲に備える防塁と,鴨川の氾濫から市街を守る堤防として, 天正19年(1591)に多くの経費と労力を費やして築いた土塁だそうです。
五条口(ごじょうぐち)
五条口(伏見口)は京の七口のひとつ。五条大橋の西詰辺りに御土居があったそうです。
伏見街道(ふしみかいどう)
京(京都)の五条と伏見とを結ぶ街道。豊臣秀吉が開いたともいわれるそうです。
集合場所JR京都駅を出発して五条口、伏水街道、伏見稲荷大社を経由して藤の森広場まで歩きます。
集合場所のJR京都駅を出発します。
京都タワー
東本願寺の南側を歩きます。
五条口の御土井があった五条公園で休憩になりました。
五条公園の横の五条大橋大橋から見た鴨川の眺めです。
豊国神社
京都国立博物館
正面
平成知新館(へいせいちしんかん)
2014年9月13日(土)開館。設計は、ニューヨーク近代美術館 新館、東京国立博物館 法隆寺宝物館、豊田市美術館などを手がけた世界的建築家、谷口吉生氏だそうです。写真は入り口付近です。
機会があれば展示会などを見に行きたいと思っています。
三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)
南北に120メートル。内陣の柱と柱の間数が33あり、木造建築では世界でも類稀な長さ。1164年(長寛2)後白河上皇が発願し、平清盛が寄進して創建。堂内には、中尊千手観音坐像(国宝)を中心に千体の千手観音立像、観音二十八部衆像が並ぶそうです。「通し矢」で有名です。
伏見街道に残る第一橋跡です。
当時は「伏見」ではなく「伏水」となっていたようです。
瀧尾神社(たきおじんじゃ)
創建年代は不詳。「源平盛衰記」にその名が見える。天正14(1586)年10月に豊臣秀吉が方広寺大仏殿を建立したのに伴い、現在地に遷座。現在の本殿、拝殿、手水舎、絵馬舎は、下村家(現在の大丸百貨店)の手により、は江戸後期の天保10(1839)年〜11年にかけて造立されたそうです。
伏見街道に残る第二橋跡です。
伏見街道に残る第三橋跡です。
伏見街道を歩きます。
伏見稲荷大社につきました。
伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)
伏見稲荷大社は式内社(名神大社)、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁に属さない単立神社。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域とする。全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本社。初詣では近畿地方の社寺で最多の参拝者を集める(日本国内第4位〔2010年〕)そうです。
3年連続で外国人に人気の観光スポット第一になったそうです。
JR最古のランプ小屋
1879年(明治12)の旧東海道線開通当時、汽車が照明用に使ったランプと灯油の小屋。旧国鉄最古の建物で、準鉄道記念物。約8平方メートルあり、当時の時刻表、運賃表、汽車の尾灯などを展示されているそうです。
藤の森広場に向かいます。
藤の森広場で昼食休憩になりました。
昼食休憩後は藤森神社、伏見桃山城、桃山善光寺を経由してJR桃山駅まで歩きます。
伏見街道に残る第四橋跡です。
藤森神社(ふじのもりじんじゃ)
藤森神社は平安遷都以前から祀られている古い社、駈馬、紫陽花でも有名だそうです。
伏見桃山城(ふしみももやまじょう)
伏見桃山城は天正20年(1592)豊臣秀吉が隠居所として築城し、徳川家康が再興した城。しかし、二条城の修築によって存在意義が薄れたこともあり、元和9年(1623)廃城となり、天守や櫓などは全国の城へ分与されたそうです。
跡地に、昭和39年に伏見桃山城キャッスルランドが開園した際、天守閣が作られたが、歴史上の伏見城とは全く別のものだそうです。
天守閣は冒頭の写真です
桃山善光寺(ももやまぜんこうじ)
桃山善光寺は京都府立桃山高校の南にある天台宗の寺院。桃山善光寺の本堂は醍醐寺の塔頭の建物を移築したそうです。
今回記事はNiceボタンをクローズさせていただきました。
ご訪問していただきありがとうございました。