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霊験あらたか・尼崎七社巡り(兵庫) [ウォーキング兵庫県]

霊験あらたか・尼崎七社巡りに参加してきました。(20160316)

貴布禰神社
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尼崎市内の有名な七社にお参りして無病息災などをお願いしてきました。
いつまでも健康を維持できるように生活習慣にも気をつけたいと思っています。

 【尼崎七社】
   ・長州天満宮(菅原道真)
   ・桜井神社(歴代城主)
   ・尼崎戎神社(八重事代主大神)
   ・貴布禰神社(高おおかみの神)
   ・難波八幡神社(応神天皇)
   ・なにわ熊野神社(いざなみのみこと)
   ・七松八幡神社(応神天皇)


当日は曇り、気持ちの良いウォーキングになりました。

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集合場所の尼崎駅北広場を出発して、長州天満宮、桜井神社、尼崎戎神社を経由して貴布禰神社まで歩きます。

集合場所の尼崎駅北広場です。
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長州天満宮
祭神の菅公は古くより学問の神として尊崇され、公にまつわる幾つかの伝承が残る。その一つに大宰府左遷の折、長洲の浦に舟待ちされ、村人は公より「人知れず移る涙は津の国の長洲と見えて袖とぞ朽ちぬる」の歌と自画像を賜った。公の没後、その徳を称えて叢祠を建て画像を奉斎したが、後世領主が他に移封された折に画像を強いて持ち出したところ凶事多く、返却したという伝えがあるそうです。
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桜井神社
当神社は明治15年尼崎城内に建立。櫻井松平の祖、信定公は戦国の世に勢力拡大に尽力され、三河安城にその基盤を築かれた。当時の世のならいで、七代目忠頼公が、28才で亡くなり、家が断絶するが、八代目忠重公の努力と徳川家康公のはからいで、お家再興がかなう。十代目忠喬公の御代、遠州掛川より尼崎城に移封。即ち尼崎初代の城主となったそうです。
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尼崎戎神社
尼崎えびす神社は平安時代の醍醐天皇以前。菅原道真が大宰府へ赴く途中、尼崎の海辺の神社に立ち並ぶ老松や砂浜の美しさに目を奪われて「ここは殊のほかよき浦なり 松は琴柱の並びたるがごとし」と歌を詠まれた。この歌にちなんで、尼崎は「琴の浦」と呼ばれるようになり、この古名の発祥は当神社だと言われているそうです。
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貴布禰神社
貴布禰神社は「尼のきふねさん」で親しまれる尼崎屈指のお宮です。かつて尼崎城主のご祈願所を務め、たびたび雨乞いの神事が行われてきた市内唯一の元縣社。戦後は工都・尼崎の守護神として信仰も篤く、毎年8月に行われる夏祭りは、約8万人の参拝客で賑わうそうです。
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貴布禰神社の横にある貴布祢公園で休憩になりました。


休憩後は蓬川公園、難波八幡神社、なにわ熊野神社、七松八幡神社を経由してゴールの立花駅まで歩きました。

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難波八幡神社
仁徳天皇の御世(4世紀)の創建と伝えられる古社「難波祝津の宮跡」。夏祭りには湯立神事が行われ、茅の輪くぐり、子供太鼓の巡行が行われるそうです。
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なにわ熊野神社
当社は「史跡 伝 難波の海」の宮として、応神天皇の旧き御世よりの海の名所といわれる。3月の第一日曜日には「梅まつり」が行われ、お茶席なども開かれて賑う。また、末社の摂津難波稲荷大社は通称「がんのいなり、がんかけいなり」として親しまれているそうです。
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七松八幡神社
創祀は後一条天皇の代、寛仁3年、源頼信が当地を訪れた折に、ひとりの小童がこの地の農民の窮状を訴えたのに感じ、1本の松樹のもとにあった小祠を改装して、あわせて松の株を六本植えさせた古事による。「七松」という地名の由来といわれているそうです。
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この後、立花駅まで歩きました。


ご訪問していただきありがとうございました。




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