西大路七福社巡り(京都) [ウォーキング京都市]
「西大路七福社巡り(京都)」に参加してきました。(20151213)
名倉公園近くのメタセコイアの並木道
当日は晴れのち曇りの中のウォーキングでした。
師走の京都西大路の東西両側にある神社七社にお参りして、今年一年を感謝の気持ちで締めくくりさせて頂きました。
西大路七福社ご利益めぐりは西大路通周辺にある7社を正月元旦から2月に巡拝し朱印を受けるもの。1983年に当初は5社巡りで始まり、翌1984年に7社になったそうです。
七社は知恵・学問の吉祥院天満宮、開運の若一神社、厄除の西院春日神社、建築方除の大将軍八神社、開運の平野神社、安産のわら天神宮、延命長寿の熊野神社衣笠分社です。
集合場所のJR西大路駅を出発して、南の吉祥院天満宮をお参りした後、再び北に向かい若一神社、名倉公園、西院春日神社を経由して三条坊町児童公園まで歩きます。
JR西大路駅近くの公園
吉祥院天満宮(知恵・学問)
朱雀天皇が菅原道真を尊崇して勅祀した初の天満宮。また遺唐使だった道真の祖父が船で唐へ向かう途中、海上で霊験を得たという吉祥天女を帰国後自ら刻みまつったのがはじまりといわれているそうです。
若一神社(開運)
平安末期平清盛がここに別邸を建て「西八条殿」と称し、紀州熊野の若一王子の御霊を祭ったのが始まり。以後清盛の勢威がのびたというので開運出世の神として崇められているそうです。
西院春日神社(厄除)
平安初期、淳和天皇が淳和院に奈良春日大社よりご分霊を迎えておまつりされたことが起こり。神前の霊石で皇女の疱瘡が治り、病気平癒の神として崇められたという。江戸期にも歴代天皇が健康祈願をされた。また境内の摂社、還来(もどろき)神社は旅行安全の神として有名だそうです。
三条坊町児童公園で昼食休憩になりました。
昼食休憩の後、再び北に向かって、大将軍八神社と妖怪ストリート、北野天満宮、平野神社、わら天神宮まで歩きます。
妖怪ストリート
妖怪たち
大将軍八神社(建築方除)
桓武天皇が794年(延暦13)王城鎮護のために星神大将軍を勧請したといわれる社。社殿は昭和初年権現八棟造で造替。方徳殿に大将軍神像80体(重文)と陰陽道安倍家の古天文暦道資料(府文)があり、方除け厄除けの神だそうです。
北野天満宮
「北野の天神さん」と親しまれている北野天満宮は、天暦元年(947)に創建され、平安時代に学者・政治家として活躍した菅原道真公をお祀りする全国に約一万社御鎮座する天神社・天満宮の宗祀(総本社)の神社である。現在は、特に学問の神様としての信仰篤く、学問に勤しむ多くの学生が参拝に訪れる。国宝・本殿は慶長12年(1607)に豊臣秀頼が造営したもので八棟造と称され絢爛豪華な桃山建築。菅公が殊のほか愛でられた梅と紅葉の名所でもある。毎月25日は縁日で、境内には多くの露店が立ち並び賑わいをみせるそうです。
銀杏の葉でしょうか、お掃除していました。
平野神社(開運)
794年(延暦13)平安遷都の際、この地に遷座。朝廷も崇敬され、たびたび行幸。のち源氏、平家の氏神となる。現在の社殿は寛永年間(1624-44)の造営で平野造とよばれ本殿は重文。伊勢神宮、松尾大社などとならぶ格式ある名社だそうです。
わら天神宮(安産)
祭神のコノハナサクヤヒメは北山天神丘に古代から祭られていたが、1397年(応永4)足利義満が金閣寺造営のさい鎮守神として現在地に遷座した。昔から安産の神として‘はら帯天神’、‘わら天神’と称えられたそうです。
わら天神宮の後は南に向かって、熊野神社衣笠分社を経由してごールのJR円町駅まで歩きました。
熊野神社衣笠分社(延命長寿)
閑静な住宅地の中に分社は形を変えて鎮座する。拝殿の三角屋根に千木を一組だけ上げて八咫烏の飾り瓦を付ける。本殿は正面の壁をくり抜き祠を納めて飾り金具を光らす。定礎は昭和五十九年だそうです。
JR円町駅
昼食場所の三条坊町児童公園の近くでユニークな看板の路面電車を見かけました。
ご訪問していただきありがとうございました。
名倉公園近くのメタセコイアの並木道
当日は晴れのち曇りの中のウォーキングでした。
師走の京都西大路の東西両側にある神社七社にお参りして、今年一年を感謝の気持ちで締めくくりさせて頂きました。
西大路七福社ご利益めぐりは西大路通周辺にある7社を正月元旦から2月に巡拝し朱印を受けるもの。1983年に当初は5社巡りで始まり、翌1984年に7社になったそうです。
七社は知恵・学問の吉祥院天満宮、開運の若一神社、厄除の西院春日神社、建築方除の大将軍八神社、開運の平野神社、安産のわら天神宮、延命長寿の熊野神社衣笠分社です。
集合場所のJR西大路駅を出発して、南の吉祥院天満宮をお参りした後、再び北に向かい若一神社、名倉公園、西院春日神社を経由して三条坊町児童公園まで歩きます。
JR西大路駅近くの公園
吉祥院天満宮(知恵・学問)
朱雀天皇が菅原道真を尊崇して勅祀した初の天満宮。また遺唐使だった道真の祖父が船で唐へ向かう途中、海上で霊験を得たという吉祥天女を帰国後自ら刻みまつったのがはじまりといわれているそうです。
若一神社(開運)
平安末期平清盛がここに別邸を建て「西八条殿」と称し、紀州熊野の若一王子の御霊を祭ったのが始まり。以後清盛の勢威がのびたというので開運出世の神として崇められているそうです。
西院春日神社(厄除)
平安初期、淳和天皇が淳和院に奈良春日大社よりご分霊を迎えておまつりされたことが起こり。神前の霊石で皇女の疱瘡が治り、病気平癒の神として崇められたという。江戸期にも歴代天皇が健康祈願をされた。また境内の摂社、還来(もどろき)神社は旅行安全の神として有名だそうです。
三条坊町児童公園で昼食休憩になりました。
昼食休憩の後、再び北に向かって、大将軍八神社と妖怪ストリート、北野天満宮、平野神社、わら天神宮まで歩きます。
妖怪ストリート
妖怪たち
大将軍八神社(建築方除)
桓武天皇が794年(延暦13)王城鎮護のために星神大将軍を勧請したといわれる社。社殿は昭和初年権現八棟造で造替。方徳殿に大将軍神像80体(重文)と陰陽道安倍家の古天文暦道資料(府文)があり、方除け厄除けの神だそうです。
北野天満宮
「北野の天神さん」と親しまれている北野天満宮は、天暦元年(947)に創建され、平安時代に学者・政治家として活躍した菅原道真公をお祀りする全国に約一万社御鎮座する天神社・天満宮の宗祀(総本社)の神社である。現在は、特に学問の神様としての信仰篤く、学問に勤しむ多くの学生が参拝に訪れる。国宝・本殿は慶長12年(1607)に豊臣秀頼が造営したもので八棟造と称され絢爛豪華な桃山建築。菅公が殊のほか愛でられた梅と紅葉の名所でもある。毎月25日は縁日で、境内には多くの露店が立ち並び賑わいをみせるそうです。
銀杏の葉でしょうか、お掃除していました。
平野神社(開運)
794年(延暦13)平安遷都の際、この地に遷座。朝廷も崇敬され、たびたび行幸。のち源氏、平家の氏神となる。現在の社殿は寛永年間(1624-44)の造営で平野造とよばれ本殿は重文。伊勢神宮、松尾大社などとならぶ格式ある名社だそうです。
わら天神宮(安産)
祭神のコノハナサクヤヒメは北山天神丘に古代から祭られていたが、1397年(応永4)足利義満が金閣寺造営のさい鎮守神として現在地に遷座した。昔から安産の神として‘はら帯天神’、‘わら天神’と称えられたそうです。
わら天神宮の後は南に向かって、熊野神社衣笠分社を経由してごールのJR円町駅まで歩きました。
熊野神社衣笠分社(延命長寿)
閑静な住宅地の中に分社は形を変えて鎮座する。拝殿の三角屋根に千木を一組だけ上げて八咫烏の飾り瓦を付ける。本殿は正面の壁をくり抜き祠を納めて飾り金具を光らす。定礎は昭和五十九年だそうです。
JR円町駅
昼食場所の三条坊町児童公園の近くでユニークな看板の路面電車を見かけました。
ご訪問していただきありがとうございました。