竹林公園と大蛇ケ池をたずねて(京都) [ウォーキング京都市]
「竹林公園と大蛇ケ池をたずねて」に参加してきました。(20150802)
今回もとても暑い中のウォーキング。しっかりと水分、塩分をとりながら歩きました。
京都洛西の竹林公園、長岡天満宮などを歩いてきました。
竹の径
JR桂川駅を出発。少しキツイ坂道、竹の径を経由して洛西竹林公園まで歩きます。
JR桂川駅を出発しました。今日も暑そうです。
少し進むと田園風景の横を歩きます。
冒頭の竹の道を通過すると洛西竹林公園に着きました。
ここで、少し休憩です。
洛西竹林公園内には色々な竹がありました。
キッコウチクというそうです。
竹林公園の中にある「竹の資料館」には色々な竹が展示されていました。
竹の資料館で休憩した後、大蛇ケ池公園まで歩きます。
大蛇ケ池公園
かち割りの氷のサービスを頂きました。冷たくて美味しかったです。
大歳神社
創建は養老2年(718年)。昔は栢(かしわ)の木が繁茂していたことから境内は栢森(かしわもり)と言われ栢の社とも言われ、伊勢神宮から移された棟門と鮮やかに青い虫籠窓のような塀が特徴的。本殿は皇紀二千年記念事業で長岡天満宮の本殿を移築、小ぶりながらも格調がある。五穀豊穣の大歳神、石作神などを祀る。石作神は代々石棺を作ってきた石作氏の祖神で、弥生時代の垂仁天皇の后の崩御の際、石棺を献上したといわれているそうです。
光明寺
西山浄土宗の総本山光明寺は長岡京市西山のふもと粟生広谷。宗祖円光大師法然上人が御歳43歳の時、日本で最初に念仏の産声を上げられた立教開宗の地。紅葉も見事だそうです。
光明寺の近くにある西山公園に向かいます。
西山公園で昼食休憩でした。
昼食休憩後、孟宗竹発祥の地、走田神社を経由して長岡天満宮に向かいます。
長岡天満宮
ご祭神は学問の神様として有名な菅原道真公。道真公が太宰府へ左遷される途中、かつて在原業平らと共に詩歌管弦を楽しんだこの地に立ち寄り、都を振り返って名残を惜しんだ事から「見返り天神」とも呼ばれていて、太宰府にお供した3人が別れ際に戴いた道真公自作の木像をご神体として祀ったのが長岡天満宮のはじまりと云われているそうです。
長岡天満宮からゴールのJR長岡京駅まで歩きました。
西山公園近くのジャブジャブ池では子供たちが楽しそうに遊んでいました。
また、その横にはひまわりが元気よく咲いていました。
ご訪問していただきありがとうございました。
今回もとても暑い中のウォーキング。しっかりと水分、塩分をとりながら歩きました。
京都洛西の竹林公園、長岡天満宮などを歩いてきました。
竹の径
JR桂川駅を出発。少しキツイ坂道、竹の径を経由して洛西竹林公園まで歩きます。
JR桂川駅を出発しました。今日も暑そうです。
少し進むと田園風景の横を歩きます。
冒頭の竹の道を通過すると洛西竹林公園に着きました。
ここで、少し休憩です。
洛西竹林公園内には色々な竹がありました。
キッコウチクというそうです。
竹林公園の中にある「竹の資料館」には色々な竹が展示されていました。
竹の資料館で休憩した後、大蛇ケ池公園まで歩きます。
大蛇ケ池公園
かち割りの氷のサービスを頂きました。冷たくて美味しかったです。
大歳神社
創建は養老2年(718年)。昔は栢(かしわ)の木が繁茂していたことから境内は栢森(かしわもり)と言われ栢の社とも言われ、伊勢神宮から移された棟門と鮮やかに青い虫籠窓のような塀が特徴的。本殿は皇紀二千年記念事業で長岡天満宮の本殿を移築、小ぶりながらも格調がある。五穀豊穣の大歳神、石作神などを祀る。石作神は代々石棺を作ってきた石作氏の祖神で、弥生時代の垂仁天皇の后の崩御の際、石棺を献上したといわれているそうです。
光明寺
西山浄土宗の総本山光明寺は長岡京市西山のふもと粟生広谷。宗祖円光大師法然上人が御歳43歳の時、日本で最初に念仏の産声を上げられた立教開宗の地。紅葉も見事だそうです。
光明寺の近くにある西山公園に向かいます。
西山公園で昼食休憩でした。
昼食休憩後、孟宗竹発祥の地、走田神社を経由して長岡天満宮に向かいます。
長岡天満宮
ご祭神は学問の神様として有名な菅原道真公。道真公が太宰府へ左遷される途中、かつて在原業平らと共に詩歌管弦を楽しんだこの地に立ち寄り、都を振り返って名残を惜しんだ事から「見返り天神」とも呼ばれていて、太宰府にお供した3人が別れ際に戴いた道真公自作の木像をご神体として祀ったのが長岡天満宮のはじまりと云われているそうです。
長岡天満宮からゴールのJR長岡京駅まで歩きました。
西山公園近くのジャブジャブ池では子供たちが楽しそうに遊んでいました。
また、その横にはひまわりが元気よく咲いていました。
ご訪問していただきありがとうございました。